香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市国分寺町・昭和24年生まれの男性の証言

年に2回はドジョウうどん

(取材・文:

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  • vol: 47
  • 2015.07.13

年に2回はドジョウうどん

僕らが20代のころ(昭和45年頃)は、とにかく野球やソフトボールが盛んだった。国分寺町内でもチームがいっぱいあり、いろんな大会があった。中学校や高校でちょっとでも野球をやっていたやつは花形だった。巨人や西鉄に似たユニホームもあったように覚えている。今ほど派手ではなかったけど。

自治会ごとにチームがあったくらいで、大会や練習の打ち上げに楽しんでいたのがドジョウうどんやった。もうこの年やけん野球やソフトはせんようになったけど、ドジョウうどんは今もずっと続けとる。原(はら)自治会の公民館にドジョウうどんを作るための大鍋が2つ置いてある。50数軒の自治会やのに、鍋は2つある。東と西に分かれとるからや。

会は「満月会」っていうんやけど、命名の由来はわからん。以前は違う名前やったらしいけど、旅行に行った時に旅館の人から選手の父兄に間違われて名前を「満月会」にしたらしいんや。これも意味はようわからんけど。

満月会は、ドジョウうどんを年2回、6月の田植えが終わった時の慰労と10月の祭りの時に行っている。近年は国分に「史跡まつり」いうんができて、その前にするようになった。年間では、ドジョウうどんの他に、手巻き寿司、焼き肉、焼きそば、旅行などを楽しんでいる。そのため、毎月何千円もの会費を集めとるで。

ドジョウうどんは国分寺ならどこででもしよるけど、うちの自慢は薪で炊くところや。なんでかいうたら、初代の会長さんが工務店の社長さんで薪はなんぼでもくれるんや。ガスよりは風情があるで。今の会長は5代目で65歳やけど、年齢層は一番若い63歳から90歳以上まで、かなりロートル化してきた。若いんが入ってこん。そのかわり、ドジョウうどんを作る船頭はいっぱいおるで。言うてみたら誰でも作れるようになってきたんや。みんな近所で歩いて帰れるけん、ビールも酒もようけ出るで。

ドジョウはなんぼでもおった

村会議員しよった親父に聞いた話やけど、今は県道33号になっている道ができるまでの旧道は、がいに賑わっとったらしいで。お寺(四国霊場第80番国分寺)があるけん、その参拝客がすごかったそうや。みんな歩きやから、旧道を坂出の方から歩いてきよったらしいわ。玉つき場や喫茶店もあったって。今の風景から考えたら信じられんけど。

僕が子どものころ、家の近くの道は全く舗装されてなかった。新しくできた国道(今の県道33号)がまだ舗装されてなかったのも覚えとるで。それと、この辺から端岡あたりまでの道はまっすぐやろ。これは戦時中に飛行機の滑走路にする計画やったんやけど、戦争が終わって、やまってしまったと聞いたことがある。事実はわからんけど。

家の周りの井出に、ドジョウがなんぼでもおったのはほんまや。道のほこりを鎮めるために大きなひしゃくで井出の水をすくってまいたら、その中にドジョウがいっぱい混じっとった。井出の中でドジョウがうじゃうじゃしよるのが見えることもあった。やから、急に、ドジョウうどんすることになっても大丈夫やったんやな。

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