1950年代
1959
1958
1957
1957(昭和32)年8月
「伊吹漁協のイリコ」が初めて新聞に載る。
1957(昭和32)年春
早稲田大学の横に「うどん食堂・玉藻」がオープン。記録に残る「香川県人が東京に出したうどん店」の第1号。
1956
1956(昭和31)年7月4日
三木武吉先生、ご逝去。
1956(昭和31)年6月
ビタミン入りのうどん「旅田の栄養玉うどん」が発売される。
1956(昭和31)年4月3~15日
東京の新宿三越で行われた「香川の食料品展示即売会」で「讃岐手打ちうどんの実演」が行われ、大人気を博す(新聞に載った「物産展の讃岐うどん手打実演」の第1号)。
1956(昭和31)年
この頃、東讃~小豆島地域が「イリコ製造」の本場として栄える。
1955
1955(昭和30)年8月
津田町商工会の土曜デーで「うどん早食い競争」が開催される(新聞に載った「うどん早食い競争」の第1号)。
1954
1954(昭和29)年
「昭和の大合併」が始まる。
1953
1953(昭和28)年10月
四国4県合同国体開催。衛生上の観点から、会場でのうどん販売は禁止となる。
1952
1952(昭和27)年3月
高松桟橋駅(国鉄高松駅構内の宇髙連絡線乗換用の駅)に、高松駅弁が「駅売りうどん」の店をオープン。「かやくうどん、えびのてんぷらうどん」1杯が各30円。国鉄車内持ち込みは50円。
1952(昭和27)年
西讃の若者の間で「丸亀へ行ってカツドウ(映画)を見て、浜町のカケ店(腰掛店)でうどんを食って帰る」が“イケてる遊び”の合い言葉に(笑)。
1952(昭和27)年
丸亀の浜町銀座で「三角おこわ」が復活。
1952(昭和27)年
中讃の乾麺が「香川の月」という名前で北海道で人気を博す。
1952(昭和27)年
豊浜の乾麺が「浜うどん」という名前で人気を博す。
1951
1950
昭和25年頃
(営業していたと思われる店)
バカ盛り 開店
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