香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

高松市鬼無町・昭和25年生まれの女性の証言

近所の精米所で小麦粉と湯がいたうどんを交換

(取材・文:

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  • vol: 48
  • 2015.07.13

近所の精米所で小麦粉と湯がいたうどんを交換

子どもの頃(昭和30年頃)からうどんは食べていました。家で打つわけではないんですけど、近くにうどん屋さんがあって、うどん屋さんゆうか精米所があって、おばあさんがそこへ小麦粉を持って行きまいゆうて、お使いで持って行ってた。そしたら小麦粉の代わりに湯がいてるおうどんをもらって帰る。そんな覚えもあるし、湯がく前の生でもらって帰る時もあったし、いろいろだった。うどん屋さんの名前は・・・よこくらさん。「よこくら精米所」ゆうんが川の横にあったんや。今、鬼無にあるヨコクラうどんとは違う。今のヨコクラのまだ南にあった。今はもうない。今のヨコクラうどんと関係ないとは思うけど、親戚にはなるんかもしれん。

もうひとつは「霜野(しもの)」。ここは精米所でなくて製麺所だった。物心ついた頃にはできとったと思う。値段は全く覚えてないわ。なんかノートをおばあさんに持って行った記憶がある。物々交換の記しかなんかだったんやと思う。持って行くんを忘れたときは貸したよ、掛売したよ、みたいな。そんな現金のやりとり以外の記憶がある。うる覚えやけどごめんよ。

子ども会で子どもの日にドジョウうどんが振る舞われていた

昔は子どもの日に、子ども会でドジョウの入ったうどんを作ってくれて、うどん鉢を持って行ったら子ども会のおばさんたちがドジョウうどんを入れてくれよった。私が子どもの頃やから昭和30年代やろうね。だけど私はそれが嫌いだった。ドジョウが好きでないから。

他の家では、うどんを打って食べよったかもしれんけど、うちは八百屋で商売しよったから打ったりする時間はなかったんやと思う。親たちが仕事ばっかりしよったけんかもしれんけど、子どもの頃に外食でうどんを食べた記憶もないなぁ。うどん玉を買いに行くことはあっても、そこで食べて帰るゆうことはなかったわ。霜野にしても後にはダシつくってうどん食べて帰るようになったけど、私の小さい頃には食べて帰ることはなかったと思う。

父親の実家は農家だったから、祭り、市、法事には当然うどんを食べよったよ。寿司とうどんは当たり前のように食べよった。おうどんと扇形の押し寿司だった。大晦日はうどんでなくてそばを食べて年越し。年越しうどんはなかった。

霜野はダイハツのミゼットで八百屋や商店にうどん玉を配達していた

家で普段にうどんは食べよったけど、素うどんにネギが入ってるくらい。でも、お祭りにはカマボコが入って、サツマイモの天ぷらを作ってのせたりして天ぷらうどんになる。今から思えばどれも穀物類やの。戦後間もないから豊かでなかった。

その頃やわ、ダイハツのミゼットが流行った。運転席が濡れない。霜野さんがミゼットを使って配達しよったと思うよ。ミゼットが流行ったゆうても、高価だったから誰彼は買えないよ。うちは八百屋やけん、蒸籠でうどんを配達してくれてたと思うよ。霜野からうどんを買って売るし、自分の家でも食べる。残ったら当然食べる。足るほど出てきたわ。好きではないけど、ようけ食べてきた。仕方ないけん。母もうどんは好きでなかった。仕方なく食べていた。

だから鬼無で私が子供の頃は、よこくらと霜野の2軒だったと思うよ。私は割と霜野の方によう行った。近いけん。よこくらは遠いけん。でも本当はよこくらの方がおいしかったように思うんやけど、どうだったんかなぁ。

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