さぬきうどんのあの店、あの企業の開業秘話に迫る さぬきうどん 開業ヒストリー

上杉食品店内

【上杉食品(三豊市豊中町)】
早朝からうどん好きが詰めかける、昔ながらの食料品店に併設された製麺所。

(取材・文:

  • [history]
  • vol: 7
  • 2016.09.15

第二話

上杉食品・中編

聞き手・文:羽野茂雄
お話:四代目 上杉律子様(昭和25年7月13日生まれ)
   五代目 上杉公彦様(昭和49年1月25日生まれ)

<昭和時代>

ーー どんな営業だったみたいですか?

律子
値段やメニューは何もわかりませんが、昭和16年に喜三郎さんが亡くなってハルさんの時代になってからは、忙しい日があったようです。それは「大野のぎょんさん」と呼ばれる、三豊郡山本町(現在は三豊市山本町)須賀神社の祇園祭の時です。今でも毎年7月に行われていますが、獅子舞の奉納が有名です。宵祭りは参道に夜店が並び、花火も上がります。ちょうど、うちの店の前の街道が、七尾坂を超えて五つ街道を通って須賀神社に至るメーンの道になっていました。「ぎょんさん」へ行く人が肩すり合わせながら道いっぱいに歩くほどのにぎわいだったようです。その時は、ハルさんは店でうどんや甘酒、かき氷などを売るために裸足で走りまわっていたそうです。

ーー 喜三郎さんの後の二代目はどんな店だったのですか?

律子
喜三郎さんとハルさんに子どもがなかったもので、ハルさんの姪のキヌさんに大野原町から順五郎さんが養子に来ました。その順五郎さんとキヌさん夫婦が切り盛りしていたのが二代目の時代ですね。その頃はうどんと日用品の店をしながら、頼まれた家へ麺棒を持って行ってうどんを打つこともあったようです。昔は法事や祭になると、親戚中が集まり、食べるうどんの数も半端でなかったみたいです。

順五郎さんとキヌさん夫婦は子だくさんで、総領が昭和2年生まれの春喜(はるよし)さんでした。ところが順五郎さんとキヌさんは夫婦2人とも短命で、順五郎さんは47歳、キヌさんは37歳で亡くなってしまいました。だから昭和34年まで生きていたハルさんの方が長生きして、ずっと店を守りながら子育てもしたようです。

ーー 三代目を継いだのは春喜さんですね。店を継いだのは戦争の混乱期くらいでしょうか。

律子
そうですね。春喜さんは、初代の喜三郎さんやハルさん、二代目の順五郎さんに子どもの頃からうどんの打ち方を教えられていたようです。その後、春喜さんは高瀬の稲田農機からヨシミさんを嫁にもらい、先代たちと協力しながら店を盛り上げたようです。

店では春喜さんがうどんを打ち、ヨシミさんが出汁を炊いていましたが、なかなか春喜さんから合格が出ないのでヨシミさんは悩んでいたようです。というのも、初代のハルさんは出汁づくりがうまくて、それを食べて育った春喜さんの口が肥えていたみたいで。それでもヨシミさんはやがて料理の腕を上げて、魚を炊いても汁がおいしかったですね。

春喜さんは親が早く亡くなって苦労したせいか、ちょっとめんどいところもあって(笑)普段はヨシミさんに厳しく当たっていたようですが、いざとなったら優しかったですね。初代のハルさんは子どもがなかったためか、ずいぶんと喜三郎さんを持ち上げてかいがいしく尽くしていたようです。

現在の「上杉食品」の名前を使うようになったのは、三代目の春喜さんの時代からだと思います。近所の人が農作業を終えたら店にやってきて、一杯飲んで最後にうどんを食べるというのが多かったみたいです。それも自転車で来られるくらいの範囲の人だけですよ。今みたいに県外から車で来るようになるのはずっと後のことです。

ーー そして四代目がお母さん(律子)夫婦ということになるのですね。

香川県さぬきうどん品評会で農林大臣賞を受賞した時に、店の玄関に誰かが置いて行った木彫りの額。

香川県さぬきうどん品評会で農林大臣賞を受賞した時に、店の玄関に誰かが置いて行った木彫りの額。寄贈者は未だ不明だそうです。

律子
私は昭和47年に22歳で山本町から嫁に来ました。まだまだ義父の春喜さんが元気で店を切り盛りしており、私はいろんな手伝いをしながらうどん店のやり方をちょっとずつ覚えてきました。春喜さんは平成21年に亡くなるまで、生涯現役のうどん屋でした。だから、三代目と私たち四代目は一緒にやっていたという感じで、境はありませんね。

私の主人の昇(昭和22年生まれ)は、うどんの配達をしてから母の里の稲田農機に勤めに行っていました。当時は「小店」も多くて、結構配達の数もありましたが、残念なことに、主人は父の春喜さんより1年早い平成20年11月4日に亡くなりました。

平成元年に香川県生麺事業協同組合主催の第11回香川県さぬきうどん品評会で、うちの「ゆでうどん」が最高賞の農林水産大臣賞をいただいたのですが、受賞からしばらくしたある日、店の玄関に「麺匠上杉」と揮毫した立派な木彫りの額が置いてありました。いまだに誰の贈り物かわかりませんが、店に大事に保管しております。こんな粋なことをしてくれるお客様もいるもんだと感激しています。

ーー 現在、朝の6時半から8時くらいまでならゆでたてが食べられるそうですが、そんな営業形態になったのはいつごろからですか?

律子
もうだいぶん前ですね。うちは配達がメインですから、朝早くにうどん作って、8時くらいから配達に行きます。配達先は以前はもっぱら「小店」でしたけど、今はスーパーやJAの産直市が多いです。8時までなら、店の奥の製麺所で作った麺をそのまま「かまあげ」で待たんと食べられます。それを知ったお客様が、毎朝6時には大勢いらっしゃいます。6時前に来られる常連さんもいて、電気がついてなかったら裏から入ってくる人もいますよ。だから、店が一番忙しいのは8時(土日祝日は9時)くらいまでで、昼頃で玉がなくなると営業終了となっています。6時に食べられるようにするために、4時くらいから作業は始めています。
製麺所なので、うどんはシンプルなかけうどんがベース。

製麺所なので、うどんはシンプルなかけうどんがベース。

ーー 100年以上愛される「上杉のうどん」のうどんや出汁のこだわりを教えてくれますか?

律子
北海道産のコンブと伊吹産のイリコとカツオ節で丁寧にダシをとることですね。
公彦
うどんに愛情を込めて丁寧につくることです。
客A
風味のある出汁とサクサクの天カス。
客B
麺のツルツルとしたのど越し。

ーー 「上杉の生うどん」の全国販売も好調のようですね。食べてみると、「これぞ三豊(西讃)のうどん」と言わんばかりの太さと腰の強さがありますね。

律子
昭和62年10月に製造の機械を入れて、新家の奥さんと一緒に乾燥した生うどんの全国配送を始めました。少しゆで時間はかかりますが、食感が生麺に近いと好評で、徐々に贔屓のお客様が増えてきました。毎年繰り返し注文をいただける人も大勢いますよ。今は、多くのうどん屋さんが生うどんを売っていますが、昭和のころはまだ珍しくて遠方のうどんファンに重宝されました。スイスに住んでいるこちら出身の方から、60袋、20kgという大量注文もあります。

ーー スイスでこれを食べたら”あげとが落ちる”ほどうまいでしょうね(笑)。

律子
そら、がいにうまいやろけど、無茶苦茶高うつきますね(笑)。

ーー 律子さんの時代のうどんの値段はわかりますか。

律子
いつ変わったかはっきりしませんが、うどんのメニューは小が最初150円から200円、そして現在の250円になりました。250円は消費税が8%になってからです。中1玉半が300円、大2玉が350円、特大3玉が450円です。
公彦
僕が覚えている昭和58年ころは、確かうどん玉が1玉50円でしたね。今は75円になっています。

後編に続きます

上杉食品外観

三豊市

上杉食品

うえすぎしょくひん

〒769-1504

三豊市豊中町上高野2791

開業日 明治40年

営業中

現在の形態 製麺所

(2015年7月現在)

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