香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

観音寺市観音寺町(旧中央町)・昭和8年生まれの女性の証言

戦時中は畑で作った小麦でうどんを作っていた

(取材・文:

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  • vol: 227
  • 2017.08.28

打ち込みうどんにたまに入るエビジャコが美味しかった

 生まれは観音寺。観音寺町のなー、昔は中央(旧観音寺市中央町・観音寺町に統合)言よった。家はなあ、柳町の出口にフードセンター(現ベビーフェイスプラネッツ茶屋)あるやろ。食堂があるとこ。そこから殿町の方へ行ったとこにある「細川のクリーニング屋」さんの近所やった。

 家はお店やなんちゃしよらへん。お父さんが大工しよったけん。うどんは父親と母親がよーしよったわ。板とな、棒とが家にあった。三本松(観音寺市三本松町)の方にちょっとなー、土地やーして。戦争中に小麦を作んりょったけんな。ほなけん、戦争中の物がない時でもそれがあったきん、食べれよった。ご飯の代わりにおうどんがよー出できよったけど、まだおうどんでも食べられて良かった。アンタ、お芋のツルや食べたりしよったげな。無かったきんなあ、何にもが。

 できた小麦はどっかで挽いてもろてな。ほんでおうどん作ってくれよったんは知っとる。どこで挽いてもろとったんかは、一緒に行ったことないきん知らん。私やまだ小さかったのに。戦争が終わった年ぐらいが、まだ六年生じゃのんなあ。

 うどんは大抵は打ち込みじゃわい。おダシはイリコとコブでとって、おネギやおアゲや大根やニンジンやそんなん入れてな。ほんで、切ったうどんを入れよったん。湯ががんでええきんすぐに食べれるけんな。お野菜も食べれるし、お団子汁と一緒みたいな。

 ほんで、良かったらエビが入る。頭と尻尾とのけてな。毎日行商の人が、エビジャコを家の前まで売りに来よった。港から車押してな。冬になったらもう小そうなるけど、夏獲れるエビジャコは大きいて美味しかったよ。せー(鮮度)がよかったけんなー。

乾麺の紀州屋は観音寺の街中にあった

 夏は素麺が多かった。湯がいて、おダシ作っとってこうしてな。素麺汁も食べよった。ほやけど冷やしうどんもしよった。乾麺言うんえ? うどん干しとんじゃがな。湯がいてアレしよったな。

 そうそう、乾麺食べよった。細ーいんで。こよな束になっとるやつな。湯ー沸かしてそん中放り込み(ほりこみ)よった。あの頃(ごろ)は普通のこいなおうどんやなかったけん。「紀州屋」さんやああいうとこに売んりょったなあ。あそこは乾麺ばっかり作んりょったように思うわ。今、柞田(観音寺市柞田町)の方でしよるけど、昔はあの人が川原町(旧観音寺市川原町・現在は観音寺町に統合)でしよったけん。今でもスーパー行たら売んりょるわー。

 冷や麦もあったわなー。アレも夏じゃわい。赤や青の色が付いとんが、ちょびっと入っとるん。アレも食べよったー、うん。

 夏至とか半夏とか、そよな時はうどん食べよったわい。その時はおうどん、かけじゃわい。お寿司もな、皆自分とこでするん。ハム買うて来てな。

 法事や葬式も、近所の人が寄ってそいなんしよったなあ。寄ってお寿司してなあ。けど、うどんがあったかないかは知らんわ。覚えてない。

 お祭りにはしよったわな。天ぷらとな、お寿司と。天ぷらは色粉買うて来て入れて。黄色い色付けるんや。色を付けたら美味しそうに見えるんやのに。白よりかな。色粉はスーパーや八百屋さんや、そいなとこで置いてあった。袋に入っての。これぐらいの大っきななアレに、ずーっとかけてあった。お茶の袋売んりょるような、1つずつちぎっていくようなん。いっぺんに使うんはちょっとじゃきんな。アレ一袋買うたら、なんべんも使えるな。今でも私やっぱり、ちお祭りやの天ぷらには入れる。色が付いとったら、おうどんに乗っとってもキレイななー。

昔のうどん屋は皆、出前をしてくれていた

 中央に今、「中央クリニック」いうんがあって、横でお薬出っしょろう? そこにな、「銅金(ドウキン)」さんいうおうどん屋さんがあった。あそこは、旦那さんが打っちょったかいなー。玉取んりょったかも分からん。旦那さんが左官(しゃかん)さんやって、うどん屋は奥さんやお婆ちゃんやがしよったきんな。もううちから近いきん食べに行っきょったし、お客さんや来たら出前持ってきてくれるのに。

 昭和43年に今の幸(観音寺市幸町)にお嫁に来た。幸にはな、「青木」いううどん屋さんがあった。一心寺のお寺の方ぐるっともうた(回った)とこで、「小原(コハラ)」のお餅屋さんの前。お婆ちゃんと娘さんでしよって、あそこもよー流行んりょった。出前してくれるきんなー。まー昔は皆出前しよったけどな。ほやけん、大工さんが家の修理に来たりしたら、おやつにここから取ったりしよった。

 あるんは、おうどんやお寿司や簡単なな。そないアレはないわ。昔や、あよな(あんな)「ご飯があってお惣菜」、そよなんは無いきんな。おうどんの値段、なんぼだったかいの、百、二・三十円? なんか安かったような気がするけど、よー覚えてないわ。あそこももうない。お婆ちゃん死んだきん。お婆ちゃん死んで何年なるえ? もう10年…いやいや分からん、大分長いなー。

 それとトキワの農協の向こにあった「ミヤタケ」さんとこのおうどんは、よー買うてきた。もう今やめたやろ。体悪うして。

 今みたいなおうどんやなー、戦時中やないわいなー。そうじゃわ、昔や天ぷらやトッピングできんのにな。今はもうトッピングしてナニができるけんな。今やいうて、おつゆや何もかもみなできとるけん、買うて来てお湯だけ沸かしてな。ほんで、湯がくぐらいがアレやな。湯がかんのだったら玉買うて来たらええけんな。私やもう古いがい。もう80も超したらなあ。まあこんま(小さ)かったけん、色々わっせ(忘れ)とらいなあ。

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