香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

観音寺市旧元町・昭和14年生まれの女性の証言

お客が来たら近所の店でうどんを買ってきていた

(取材・文:

  • [showa]
  • vol: 229
  • 2017.09.04

家の近所にあった「たいしょうまる」

 生まれは観音寺の元町(観音寺市旧元町・旧港町の東隣・現在は港町と西本町に分割統合)です。うちは、最初お父さん勤めに行っきょったんやけどな、やめて豆腐屋しよった。

 おうどんは、冬にお婆さんが打ち込みうどんする時は作んりょった。ご飯の代わりにする時もあったし、少しご飯が足らんかったら一緒にしよったな。味付けはおしょう油でダシはイリコ。ネギと天ぷらぐらい入っとったかな。天ぷらは練り物の方な。

 それと、昼とか何とかに人が来た時には、急いでおうどん屋さんでちゃんとしたやつを買うて来よった。ダシもちゃんと入っとるやつな。近所に「たいしょうまる」いうおうどん屋さんがあったきんな。「へいたく」さんいうとこな。ほんであそこは「おおたにし」じゃったんじゃろか。名前わっせたんじゃけどな。そこで新しいにおうどん屋さんもしよった。今しよるかどうかは分からん。

 買うて来よったおうどんは、かけうどんじゃわな。今のセルフのかけうどんとはちょっと違うけんど、赤板(カマボコ)の薄いんや、ネギとかオアゲが乗っとった。でも「かけうどん」とは言よらなんだな。普通に「おうどんちょうだい」言よった。

 お店には買いに行ったことあるし、食べに行ったこともある。メニューはおうどんだけじゃったかな。そもそも余分なもんは食べるアレはなかったきんな。けど「たいしょうまる」が新しにしとったとこは、お寿司とか巻き寿司の細いやつや、ちっちゃいやつとかお稲荷さんもあった。おうどんしもってお蕎麦もしよったし。

 お店でおうどんを打っちょったがどうかは知らん。「柳川」ぐらいで買いよったんかな。自分のとこで打つ技術はのうても(なくても)、昔は玉売りしよるとこがよーけあったけんな。他に製麺屋さんはあったかな。あそこの「ふじむら」はお米打っちょっただけやと思う。

殿町の角にあった「石部」

 結婚して今の殿町(観音寺市旧殿町・現在は観音寺町に統合)に来たんやけど、いつ頃かな…昭和30…何年かな…すーっと(記憶が)抜けとる(笑)。殿町の角には「石部(いしべ)」さんいうおうどん屋さんがあった。私がここに来てからは、「石部」さんの名前で「サイトウ」さんいう人がしよったけどな。店を引き継いだかどうか、詳しいことは知らん。

 あそこは入ったら机もなんぼもあって、中で食べれるようにしとった。けど、どんなメニューがあったかは知らん。大体、行って食べへんきんな。私やは母親から「おなごの子(女の子)が店先行って食べるもん違う」って、やかまし言われたきん。「外食するいうんは行儀が悪い」言うてな。家族揃てとかも外食はせんかったもんな。

 石部は子供やが小っちゃい時まではあったけど、殿町の道が広がった時になくなったんと違う?

親戚の法事では干しうどんを茹でていた

 それと、うちの親戚の法事の時、宵法事や行たらおうどん出したりしよった。里はしよらなんだけどな。また次の日もな。仏さんは禅宗。親戚はおうどんを打たんと、干しうどん買うてきて湯がっきょったな。かけみたいにして。観音寺は干しうどんを作んりょるとこがよーけあったきん。今でも「紀州屋」があるわな。

ページTOPへ