香川県民のさぬきうどんの記憶を徹底収集 さぬきうどん 昭和の証言

旧綾上町上羽床・昭和26年生まれの女性の証言

脚の付いた打ち台で母がうどんを打っていた

(取材・文:

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  • vol: 236
  • 2017.09.28

脚の付いた板でうどんを打っていた

 私んとこの家は綾上(旧綾歌郡綾上町・現在は綾川町に合併)の上羽床。「池内」と「山越」の中間地点ぐらいやわ。「山越」の前から東に行ったら、昔の商店街みたいなんがあるでしょう? あの辺。今はその北側に国道が通っとるけど、昔はあの道しかなかったの。あの細い道に、大きなバスが通っててね。

 家でうどんは作ってましたよ。寒くなったら、母親が打ち込みうどんしよったね。私、小さい時に踏まされましたわ。道具は今もあります。これぐらいの平たい大きい板でね、ちょっと脚の付いてる。脚と言うか棒みたいなんやけど。お餅つく時にも、それ使いよった。ついた後に、その上に置いて丸めてね。そういう時に使う。それの小さいんもあります。もう20何年前、父親が亡くなって機械でつくようになってから、ちょっと小さいのが重宝してる。まあうどんは棒とアレがあったらできるけん。

 打ち込みうどんの具は、その日家にある野菜が多かったけど、暑い時にはドジョウが入ることもありました。ドジョウは気持ち悪いから、私は全く食べなかったけど(笑)。ドジョウは目の前の川におったから、貴重な栄養源だったんやろうね。川にはシジミもおって、それはお汁にしてました。今はどっちもおらんようになってしまいましたけど。

 小麦粉は、精米所みたいな粉挽っきょるとこで買うてきよりましたね。田んぼなんかしよる人だったら、作った小麦を挽いてもろたりするかも分からんけど、うちは非農家やから。父親は指物大工(タンスや机などの木工用品を作る職人)やったんです。あと、法事の時は、お客さんが来たらまずうどんが出てました。

山越と池内の昔話

 うちの近所に、うどんが食べれるようなちゃんとしたお店は全然なかったです。八百屋さんとお豆腐屋さんとお塩屋さんと、お饅頭とか作ってる所はありましたけど。お豆腐は今頃みたいにパックに入れてなくて、何か持って行って入れてもらうとこね。

 そうそう、製麺屋と言うか「山越」と「池内」はありました。「山越」は今でこそ、有名になって大きくなってるけど、昔は玉作ったりして。私は買いに行ったことないけど、姉たちは多分行ったん違うかな。玉買うて来よったから。ほんで最初の頃はレジでなくて、お金をカゴみたいなんにポンと入れとったでしょ。大らかやったよねえ。あそこの二代目さんは、うちの姉たちとおんなじ年ぐらいやわ。

 「池内」も、むかーしからありましたね。昔はダンプの運転手さんとかが道ばたに車を止めて、表で食べてスッと走って行っきょった。その後、ご近所の方が迷惑するんで、ちょっとダンプさんはお断り言う感じになって。けど今でも乗用車は、いーっぱい止まってます。あそこは駐車場がないから。その代わり、みな食べたら早いですよ。入れ替わり立ち替わり来てるんと違うんかしらね。あそこい、中に入っても椅子とかテーブとかないでない。そいでもう、立って食べたりね、座って食べれたらほんまにもう、ええとこですよ。

20年前に丸亀の商店街にあった店

 今は丸亀の通町で仕事してます。丸亀に来てもう20年になりますね。なくなったり移転したうどん屋さんいうたら、今は通町に移転してる「つづみ」さんは、元は富屋町にあったんですよ。今はねえ、元の建物はもう全然なくて、妙法寺さんの駐車場になってるんですけどね。あと、通町に「あさひや」とかなんとか言うお食事処みたいなんがあったけど、そこももうないでしょう。あーゆうとこやったら、うどんも出しよったと思うけど。

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