さぬきうどんのあの店、あの企業の開業秘話に迫る さぬきうどん 開業ヒストリー

【田中屋製麺所(高松市仏生山町)】
戦前戦後の仏生山の「素麺文化」から「うどん」への移行までを駆け抜けた、まさに“生き字引”の製麺所

(取材・文:

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  • vol: 13
  • 2018.03.19

第一話

田中屋製麺所・前編

ダットサンで大歩危まで素麺を卸しに行っていた

 ここを買うた年に、ダットサン買うたんや。この町内でよけ(多く)なかって、私が3台目くらいやったよ。築港にあった「ダットサンのキノウチ」いうとこで買うたんやけど、「運転免許証受かるよにせえ」言われたけん試験受けたらすぐ受かった。試験は学科と技術と。学科いうんが、エンジンとかなんというんだけやったからな。今頃は自動車学校ちゅうのがあるけど、あの頃はなかったけんの。けど全部乗れる免許証と違うんで。私のは三輪(オート三輪)で取ったからな。その後、丸ハンドルの四輪の実地だけ受けて。

 私の免許証、見たらびっくりするで。昭和28年。しかもゴールドや、無事故での。けど罰金はよう払わされた。製粉する分を北浜の倉庫へ取りに行っきょったんやけど、あれ、90キロぐらいあるんや。こんまいダットサンのあの後ろへ、よっけ積んで帰ったら車こなん(斜めに傾く)なっとんや。三輪やけに。ほな、お巡りさんが「おい、お前それ、えらいよけ積んどろう」言うけん計算したら、「ちょっとオーバーやな。お前、大分車傾いとるぞ。ま、気ーつけて帰れよ」「はい」言うて。それで、済んみょったんで(笑)。

 ほで、それに出来た素麺積んで、財田からずっと猪ノ鼻通って、大歩危の崖の上を通るんや。命がけで。今みたいに道がちゃんとしてないし。あっちの方に行ったら、山ん中に店があるんや。そこへ「買うてくれ」て、行くわけ。電話の連絡も何もないよ。ほいで「ほんなら卸せ」いうて卸すやろ。ほならお金くれん。あそこにあったコンニャク玉を持って帰って、コンニャク作っりょるとこ持って行ったり。物々交換じゃわ。サツマイモだったら豚飼うたりしるとこへ。サツマイモの皮でも、昔の素麺やうどんする時、干して一緒に燃やっしょったんやけんな。

 私が車買うた時でも、今の塩江街道はバラス(砕石)やな。20キロから25キロで走ったら、みな後ろのもん付いて来れんくらい煙や砂埃で(笑)。三輪作んりょった会社はマツダやミズシマやクロガネいうんやよーっけあったん。築地の「キノウチ」はクロガネ、今の駅前からちょっと来たとこの「ニューフロンティア」のとこ。あすこら辺にあった。

 高松も変わってしもたわの。お八幡さん(八幡通り)の中央通りとの角っこののー、今東横(旧東横イン)かなんかになっとるとこ。あの辺でも、ようけ素麺持ってって卸したわ。若気の至りでの「頼んまっせ」って置いてきて、で金貰いに行ったらくれんしのー(笑)。

 機械こっしゃえたり売り込みに行たりしよったけど、素麺はようけ売り掛けこしらえるやろ。昔はな、素麺ちゅうのは7月、寒(かん)にしっかり作っての。3・4・5月、それぐらいに一年中売るやつをボーッと店に放り込むんや。一年中いうても、素麺は大体夏売れるもんやからな。

 素麺を作るんに金がいるけん、店に卸す前はものすご金がいるやろ。でも売り掛けで年に2回しかお金もらえんから、盆や正月が来たら銭がなしになって。そこへ大手がどんどん放り込んで来る。掛けは返ってこんわ大手は出てくるわで、ここ買うて素麺に専念したけども、これは将来アカンと思てな。もうえらい、こらいかんと。ほんでもう、手打ちうどんに替えたんや。素麺しよったんでは大きな資本にやられるから。うどんにしたら、ちっと儲かったわな。素麺では損したわ。

農家と物々交換で製粉もしていた

 素麺だけでなしに、製粉もしよったんで。うちにもロールで粉にするこんまい機械があった。製粉でもいろんな機械があったからな。小麦は精選して製粉するから、それ用の機械とかもな。

 農家の人が小麦持って来たら、うちで挽いた粉を渡っしょったん。加工賃分もろて、6掛けとか、6掛け半くらいでな。大体サービスのええとこが6掛けやったわ。10キロ来たら6キロ位渡す。ほんで「素麺にしてくれ」言うたら、またそれの加工賃もらうん。後にうどん始めてからも、うどんとか素麺にしたら何キロ渡すいう、そいな約束しとったん。

 もう無しんしたんやけど、こうゆうこんまい手帳こしらえてな。アンタんところはまあ何キロ、今何キロやけど何がんあるとか書いとったん。例えば5俵持ってきたら、1俵60キロやけん300キロじゃわの。300キロ預かったいうん書いて、ほんで素麺はなんぼ持っていんだ、うどん粉をなんぼ持っていんだいうて帳面に書く。

 農家の倉庫も兼ねとったわな。農家の人が小麦をいっぺんに持って来てポンっと置くけん、裏に小麦を一杯積んどったんや。小麦は挽かんとそのまま置いとく。ほで、取りん来る時に必要なだけ挽いて。6月頃に小麦を穫って粉にしたやついうたら、プーンと甘い匂いがしょった。でも小麦は預かっとったら、夏に虫がわくやろ。あのこんまい黒い虫、何いうんだったんかいの。忘っせたが。ソラマメにはな、ガイダっちゅうんがわくん。それで、ある程度自分くで、駆除、燻蒸っちゅうんか、それをするわけ。

 裏の広いとこに干して、多い時は200俵くらいしょったわ。ほんで俵にしたりの。しっかり積んどったら虫がわかんのや。ほら、昔はよっけ蔵持っとる農家があったやろ。あんな所は、そういう薬使わずにな、年貢で貰た米の俵を一回締め直しするん。締め直しして置いといたら、虫がわかん。放ったらかしにしとったらいかんの。そういう時代があった。今はもう蔵がある家や、あまりよけないの。

 製粉は、そこら辺皆やっりょったん。「日讃」とか小豆島の「ヤスダ製粉」とか大っきいとこもあったんやけど、ほとんどなしなっての。今はもうほとんど「日清」になってしもとるやろ。結局大資本がしてくるから、うちらでももう粉挽くのは辞めたんや。

後編に続きます

高松市

田中屋製麺所

たなかやせいめんしょ

高松市仏生山町

開業日 昭和28年以前

閉店

現在の形態 製麺所

(2018年3月現在)

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