さぬきうどんのあの店、あの企業の開業秘話に迫る さぬきうどん 開業ヒストリー

【長楽(綾歌郡宇多津町)】
廃業の危機を「讃岐うどんブーム」が救った…宇多津の峠の製麺所盛衰記

(取材・文:

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  • vol: 12
  • 2017.10.12

第二話

長楽(綾歌郡宇多津町)・後編

<昭和60年代~平成へ>

食堂形式の始まり

大将は演歌や歌謡曲をBGMに黙々と作業をしています。

大将は演歌や歌謡曲をBGMに黙々と作業をしています。

ーーお客さんが食べに来始めたのはいつ頃からですか?

奥さん
 私がここに来てすぐ(昭和42年)、醤油かけて食べよった人がおった。私が玉を取りよったらそこまで入って来て「食べさせてくれ」言うて、醤油かけて食べよったよ。近所の人でのうて、通りすがりの人。「製麺所がある」いうて入ってきたんやろな。

ーーたぶんそういう人は他の製麺所でもそうやって食べてたんじゃないですかね。それで、製麺所を見つけたら「行ったら食べられる」いうのを知ってたんじゃないですか?

奥さん
 そうかもしれんね。
大将
 そういう食べに来る人のために、カウンター作ったきにな。
奥さん
 食べに来るお客さんいうてもほんの何人かやから、ちょっと台をこしらえただけやけどな。それで、そないしよったらお客さんが「ダシがあった方がええなあ」言うて。ほいでダシ炊き始めたんや。ほんだら今度は「天ぷらもあった方がええなあ」って言うから、それから天ぷら揚げ始めた。いろんな人がそない言うて、段々に今みたいになってきたんよ。
大将
 それがもう30年ぐらい前になるかなあ。

ーー昭和63年(1988)に瀬戸大橋が架かったんですよ。

奥さん
 そうそう。その頃にはもう、食べに来よった人は結構おったわ。ダシや天ぷらもその時はあったと思う。瀬戸大橋の博覧会の時に、商工会の婦人部で会場でうどんの振る舞いをしたんじゃわ。その時に、うちからようけうどんを持って行ったわ。

廃業の危機を「讃岐うどん巡りブーム」に救われた

ーーじゃあ、長楽はそれまで割と順調にやってきた感じですね。

大将
 いやー、しんどかったですよ。先に言うた坂出工業や寿電工なんかの大口の卸先がなくなった頃はだいぶ落ち込んで、それから橋ができる頃にはちょっと持ち直したような感じだったですけど、橋の後はもうどんどん衰退していってね。ほんとに「どなんしようか、昼から別の仕事に行かないかん…」とか思ったりしよったんです。そしたら田尾さんがあれをしてくれて、それで立ち直った。本当の話です。

ーー僕が「ゲリラうどん通ごっこ」で「怪しい製麺所型うどん店」の探訪記を連載し始めたのが1989年で、93年に『恐るべきさぬきうどん』が出て、94年から山陽放送の『VOICE21』が一緒に乗っかって讃岐うどんの特番をやり始めたんですけど、その「怪しい製麺所型うどん店」に長楽がピッタリで(笑)、タウン誌やテレビでだいぶネタにさせてもらいました。

奥さん
 その頃からいろんなお客さんがようけ来てくれ始めてな、県内からも県外からも。こんなボロな店やのに、お客さんが「ええな、ええな」言うんですよ。山陽放送の人も「この店はこのままいろたら(改装したら)いかん」言うて。

ーーあの頃、ローカルのマスメディアでは山陽放送の石原ディレクターや浜家さんだけが、あの「怪しい製麺所巡り」のおもしろさに気がついてくれてたんです。

奥さん
 ほんまに山陽放送さんはよう来てくれた。それから食べに来るお客さんが増え始めて、映画ができた時(2006年、映画『UDON』公開)にまた増えて。橋が1000円になった時(2009年~10年、瀬戸大橋3ルートの通行料金「土日上限1000円」)にまたドーンと増えてな。あの時はもう、わけがわからんかったわ(笑)。ここら辺ずーっと並んでなあ。駐車場が狭いからお客さん同士が車を停めるんに揉めだしたりして、「ごめんな、もうちょっとやきん」言うてなだめたりして。
大将
 私は中でうどんしよるけん、表の様子はあんまり記憶にないけど、もうあの頃はね、器を洗うんでも一生懸命で。とにかく延々とお客さんが切れなんだから、息つく暇もなかったですね。
奥さん
 県外からテレビや雑誌もようけ来たなあ。吉本の石田靖さんがテレビで来た時に、取材しよったら急にものすごい雨が降ってきたん。ほんだらスレートの屋根がものすごい音でバラバラいうて、もの言いよっても全然聞こえんようになって、そのうち雨が漏ってきたんよ。そやから私が傘を持ってきてサッとさしてあげたら、傘さしただけやのに「まあお母さん、おもしろい人やなあ。吉本へ来る?」言われたわ(笑)。

ーーたぶん、奥さんの仕草とかタイミングがおもしろかったんですよ。奥さんならほんまに吉本行けるかもしれん(笑)。

奥さん
 それにしてもほんま、あの頃はお客さんの数も取材の数もすごかったわ。それもこれも、田尾さんが言うてくれてからや。それからうちが持ち直したんやきん、もう神様や。

ーーじゃあ、神様のお供えに「うどんかりんとう」下さい(笑)。

奥さん
 2袋、持って帰る?(笑)

「うどんかりんとう」と「うどんドーナツ」

うどんかりんとうは午前中に大量に揚げます。

うどんかりんとうは午前中に大量に揚げます。

ーーその長楽の名物の「うどんかりんとう」と「うどんドーナツ」は、どういう発祥なんですか?

大将
 かりんとうはですね、私がお酒を飲めんで甘党なんで、おうどんをそのまま揚げたらお菓子みたいになるかと思って揚げてみたんです。けど、うどんは塩水で練っとるから塩辛いのができて。それで小麦粉に砂糖入れてこしらえたらちょっとおいしかったんで、産直へ持って行って試食でみんなに食べてもろたんです。そしたら「これ、売れるんでないか?」という話になって、それから本腰入れて砂糖の量とかいろいろ試してみながら、今の「うどんかりんとう」ができたんです。
奥さん
 あれがいつ頃かな。橋の後でジリ貧になってきた頃はかりんとうも全然頭になかったから、お客さんがだいぶ来始めてからやな。1990年代の後半やな。その後、ドーナツも作ったけど、ドーナツは忙しになったらなかなかできん。
大将
 ドーナツはどなんするんかと思って本を買うてきて調べたら、材料は一緒で型だけ取ったらええみたいだったから作ってみたんですけど、うどんが忙しなったら、型抜きの手間が面倒になってね(笑)。
奥さん
 お客さんがようけ来て、うどんもせないかんし、かりんとうにも追われて。もう歳がいっとるから、あんまり無理して寝込んだらいかんから面倒な方(ドーナツ)を後回しにしよったんよ。そしたら、それから全然作る暇がのうて、ドーナツの方はしばらく作ってない(笑)。

<平成10年代~今日>

「とにかくしんどかったです(笑)。これからは身体を壊さん程度にゆっくりと」

歌好きの大将と奥さん。手前の箱を置いてある台が客席です。

歌好きの大将と奥さん。手前の箱を置いてある台が客席です。

ーー何か楽しい思い出はありますか? 確か、大将と奥さんはどちらも歌が趣味でしたよね。大将はカラオケで十八番は布施明の「積木の部屋」だという噂が流れてきてますけど(笑)。

大将
 十八番か十九番かわからんけど、まあ幅広く楽しく歌ってます。歌を歌い始めたのは32~33歳頃(昭和50年頃)からかなあ。得意先の人に誘われて、宇多津のカラオケの会に入ってね。あの頃はあちこちの神社で夏祭りや夜市がようけあって、どこでもカラオケ大会をやっとったんです。そしたら、その得意先の人があちこちのカラオケ大会のスケジュールを調べて全部申し込んでね、私やヘタなのに全部連れて行かれて(笑)。今聞いたら、あの頃の自分の歌はとても聴けませんけど(笑)。それでもとにかく楽しいて、ワーワーいうて歌ってました。
奥さん
 宇多津にNHKのラジオの「ふるさと自慢うた自慢(1996年放送開始)」が来た時も、出て歌うたなあ。ゲストに冠二郎や三笠優子が来てな、「うどん食べたい」言われて、楽屋にうどんとダシを持って行ったわ。
大将
 そなんしよったら、どこで聞いたんか知らんけど、NHKの「ごじえもん(NHK高松放送局が1999年から放送していた情報生ワイド番組)」が来た時に「ここ(店)で歌うてくれ」言われて。ラジカセみたいなんとマイク持ってきて「『いとしのエリー』をお願いします」言われて(笑)。けどそんなん、まあ歌は知っとるけど歌うたことがないし…

ーーしかもこんな店先で急に「歌え」言われても、それはさすがにねえ。

大将
 歌いました。

ーー歌ったんですか!(笑)

大将
 わざわざテレビが来とるから断れんでねえ(笑)。

ーー奥さんはコーラスでしたっけ。

奥さん
 ママさんコーラス。昭和63年(1988年)の橋がついた年に始めて、そのうちに香川県で一番になって、全国大会に7回行ったん。

ーーそれ、もう趣味の域を超えてますよ! 

大将
 あとは、旅行にはよう行きます。温泉や、方々に行きましたねえ。

ーー何か、苦しかったり忙しかったりの合間に結構楽しんでますね(笑)。

大将
 うん。今はね、もう商売は二人が食うていけたらそれでええ。

ーーでは最後に、今までを振り返ってどうでしたか?

大将
 感想は一言、しんどかったですね。
奥さん
 ほんましんどかったわ。いつも「よその人は気楽に朝寝できてええなあ」思ってました。私ら、今でも3時に起きるきんなあ。3時に起きな、うどんが間に合わんのやから。けど、よその人はみんな「ええなあ。儲けてからに」いうて言うんよ。一つも儲けてないのに(笑)。まあみんな、よそがええように見えるきんな(笑)。
大将
 3時に起きてうどんしよるでしょ。それで5時過ぎになったら、夏だったらうちの裏の山からもう歩いて下りてくる人がおるんです。朝の散歩がてらに山登りしよる人がようおるんですけど、「のんびりしてええなあ」と思う反面、「まあこっちは朝早よから仕事しよるけど、小遣い程度でもお金になるからええか」いうて自分を納得させて(笑)。まあ、今は毎週日曜は休んでますけど、もうこの歳になったら体が一番やから、寝込むほどにはせんと、ボチボチやっていきます。

※※※

 食堂やよろず屋さんへのうどん玉の卸で生計を立て、時代とともに卸先が減ってきて、次第に店でうどんを食べさせる「うどん店」に移行していく…という、昭和の町の製麺屋さんのプロトタイプのような歴史を辿ってきた「長楽」。そして、1990年代にやってきた「怪しい製麺所型うどん店巡りブーム」に引っかかって…いや、乗っかって一躍脚光を浴びる…。そんないくつかの盛衰を経験しながら、静かな穴場店としてゆっくりとした時が流れている今日の長楽でした。

峠の路地に佇む製麺所型うどん店。「長楽」は大将の名字です。

綾歌郡宇多津町

手打うどん 長楽

ちょうらく

綾歌郡宇多津町坂下東2900-1

開業日 昭和27年頃

営業中

現在の形態 セルフ

(2015年7月現在)

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