さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.48 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る平成の讃岐うどん<平成2年(1990)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

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  • vol: 48
  • 2022.04.04

うどん店は増加、うどん関連企業も活発に動いています。

 3月に大蔵省からいわゆる「総量規制」の通達があって金融引き締めが本格化し始め、“バブル崩壊”の足音が聞こえ始めましたが、この年はまず株価が暴落した年ですから、うどん屋さんにはまだ直接“大嵐”が吹いたわけではありません(株に大きな投資をしていたうどん屋さんは除く)。また、株価暴落の次にやって来る「不動産バブルの崩壊」も、すぐにうどん屋さんを直撃したわけではありません(不動産に大きな投資をしたり不動産を担保に大きな銀行借り入れをしたりしていたうどん屋さんは除く)。

 ただし、そのうち、株や土地でえらい目に遭った会社や個人が大きなお金を使えなくなったり倒産したりして、そこから仕事をもらっていた周辺業者の売上が落ち始め、職を失う人が増え始め、目に見えて景気が悪くなり、だんだんうどん屋さんレベルにまで影響が出始める…という流れが、これからやってくるわけです。そういう、「首都圏を中心としたバブリーな企業や個人が大騒ぎを始めたけれど、地方の庶民レベルではまだ大きな騒動にはなっていない」という平成2年の、四国新聞と日本経済新聞に載ったうどん関連記事です。

香川の「そば・うどん店」は、県の商業統計で634店

 まずは、うどん店の数の概況から。香川県の「商業統計」が3年ぶりに調査数字を更新発表しました。その中の「飲食店調査」によると、

喫茶店……………… 1675店
一般食堂……………… 776店
そば・うどん店……… 634店
中華料理店、その他… 387店
日本料理店…………… 279店
すし店………………… 168店
西洋料理店…………… 151店
その他の一般飲食店… 427店

とのこと。「そば・うどん店」は634店で、このところのバブル景気のせいもあるのか、3年前の599店から35店増えていました。

 続いて、2月に「高松市の雑学クイズ」みたいな特集があり、そこに「高松市内にうどん屋さんは約220軒」という数字が出ていました。

H2年記事・高松市内のうどん店数

 商業統計の「そば・うどん店634店」のうち、約3割が高松市内のうどん店という感じですが、2000年頃の筆者の調査で「香川県のうどん店が約750店、そのうち高松市のうどん店が約250店(約33%)」というデータが出ましたので、そこから推測すると、当時のこの「そば・うどん店634店」と「高松市内にうどん屋さんは約220軒」という数字は、かなり実数に近いと思われます。

 しかし、そこまで数字が出ているのに、同じ新聞にまだこんな表記がありました。

(6月6日)

コラム「一日一言」

 最近、幹線道路を車で走っていて必ず目につくのが、ファミリーレストランである。休日などは文字通り家族連れでにぎわっている。半面、県下で多いのが「うどん屋」だろう。他府県から来た人は、喫茶店でもうどんを出すのに驚いている。うどんに親しむ土地柄だけに、そこで使う割り箸の数も多いはず。県下にはおよそ2000軒と言われるのが、うどん屋さんの数。この他、レストラン、料理屋、食堂では必ずと言っていいほど割り箸が使われている。…(以下略)

 もう大分慣れてきましたが(笑)、いつまでこの数字(2000軒、3000軒)が使われるのか、しばらく眺めていましょう(笑)。

香川が「うどん生産量」で全国一に

 食糧庁の昭和63年度の統計がまとまり、「ゆでうどん、生うどん、乾燥うどん」を合わせた生産量で香川県が初めて全国1位になったことがわかりました。

(5月17日)

讃岐うどん、生産量が日本一に 「生」飛躍的伸び 大橋効果、首都圏抑える(食糧庁63年度統計)

 香川のうどん生産が都道府県別の生産量で埼玉、東京などのマンモス消費都県を抑え、全国第1位になったことが食糧庁の昭和63年度統計データでわかった。讃岐うどん振興に取り組む県農林部は瀬戸大橋開通が「追い風」となり、生産量アップにつながったとみている。

 63年度統計では、ゆでうどん、生うどん、乾燥うどんを合わせた生産数量は約2万4900トン。埼玉(約2万4500トン)、東京(約2万1000トン)などの首都圏グループを抑え、前年度の全国2位からトップに進出した。年度ごとの都道府県ランキングでは、香川は「うどんどころ」として常時全国上位をキープしているが、トップに立ったのは過去10年で初めて。…(中略)…

 数量トップ進出に県農林部は「こうなれば次の目標は量より質」と、本年度から県産小麦の品種転換を図る計画。3年ががりで従来の「セトコムギ」から製麺適性に優れた「ダイチノミノリ」に切り替えるとともに、讃岐うどんの原料小麦に占める県産小麦の割合を3割程度まで高めて「さらに風味を向上させたい」と話している。

 こうした統計は基本的に「ある一定数抽出した事業所等へのアンケートや聞き取り調査の集計」、もしくはそれに何らかの係数を掛けた数字だと思われますから、厳密にすべての生産量を調べ上げた数字ではありません。ただ、統計学的には有為であるとされるデータだとされていますから、一応そのまま受け取っておきましょう。そして、見出しにもあるように「生うどんの生産量が飛躍的に伸びている」そうです。

 ちなみに、手元のデータによりますと2016年の「うどん・そば生産額(出荷額)」の都道府県別ランキングでは、

1位 埼玉県 231億円
2位 香川県 220億円
3位 兵庫県 205億円
4位 奈良県 185億円
5位 長野県 173億円

となっていて、「讃岐うどん」の香川がぶっちぎりの1位ではなく、日本三大うどん(香川の讃岐うどん、秋田の稲庭うどん、群馬の水沢うどん)とも連動していないようです。

 また、平成元年(1989)から県産小麦の奨励品種が「セトコムギ」から「ダイチノミノリ」に切り替わりました。この後、平成9年(1997)から「チクゴイズミ」、平成13年(2001)から「さぬきの夢2000」、平成21年(2009)から「さぬきの夢2009」と変遷していきます(「昭和62年」参照)。

農水省が高級麺用の高品質小麦「関東100号」を開発

 小麦の新品種つながりでもう一つ。日本経済新聞に、「農水省が高級うどん用小麦の新品種を開発した」という記事がありました。

(9月9日)日本経済新聞

国産小麦で高級うどんを 新品種「関東100号」、農業研センターが開発 製麺業界は”冷めた目”

 「讃岐うどん」など高級麺用の小麦の品種改良を進めていた農水省農業研究センター(茨城県つくば市)は、このほど新品種「関東100号」の開発に成功、この秋から茨城、群馬、埼玉の3県で奨励品種として生産がスタートすることになった。

 小麦の国内自給率は現在約15%。中でも高級麺用小麦のほとんどが品質の良い外国品種、オーストラリア・スタンダード・ホワイト(ASW)で占められている。農水省は「関東100号」を第一歩として、2000年までに国内産麺用小麦の品質をASW並みに引き上げることを目指しているが、肝心の製麺業界などの熱意はもう一つのようだ。

 関東100号は関東66号を”母親”、ヒヨクコムギを”父親”として20年かけて育種された新品種。麺用小麦は需要家から
①製粉歩留まりが高い
②色が白い
③コシを強める粘性が高い
などが求められるが、国内小麦の代表である農林61号でそのいずれもASWに及ばなかった。関東100号の製粉歩留まりはASWの79%には及ばないものの、農林61号に比べ約4%高い65%まで向上した。また、白さも増し、食感を左右する粘性もまずまずの値が出ているという。

 現在国内小麦の生産は年間約100万トン台に回復したものの、73年には最盛時の11%、20万トンまで落ち込み、一時は関係者から「安楽死状態」とまで言われたほど。この間、品質向上研究も足踏みしていただけに、「2000年までに高級麺用小麦を国産で」という農水省の計画も容易ではないとの見方が強い。

(鈴木昭・全国製麺協同組合連合会常務理事の話)
 国産小麦がその品質ゆえ敬遠される現状で、国が量より質に目を向けた点は評価する。しかし少々遅すぎた感もあるのは確か。消費者ニーズは少々お高くてもおいしいうどんだ。

 讃岐うどんが「高級麺」として扱われていますが(笑)、小麦の消費は当時すでに全国的に外国産が約85%を占めていて、特に「讃岐うどんなど高級麺用の小麦」はほとんどがオーストラリア産のASWでした。そこで農水省が国産小麦の品種改良に着手し、このほど新品種の「関東100号」を開発したとのことですが、「ASWに追いつけ」というのは香川だけでなく、全国的な取り組みだったようです。しかし、業界からは「消費者はおいしい方を望んでいる」とか「取り組みが遅すぎる」等の理由で、「冷ややかな反応」だったとのことです。

「冷凍うどん」が伸び始める

 続いて、この年は「冷凍うどん」の話題がいくつも記事になっていました。まずは、香川の冷凍食品会社の香港進出の記事から。

(8月17日)

カメラルポ「香港の夏」…きらめく”100万ドル”の夜景 日本企業の進出相次ぐ 讃岐うどんブームも

 その美しさから”東洋の真珠”とも呼ばれる香港。香港島を中心に九龍半島と235の島で広さ約1031平方キロの英国植民地だ。7年後の1997年には、580万人の住む東京都の約半分の土地が、中国に返還されることになっている。気候は熱帯圏だが、季節風のため変化に富み、2月でも平均気温は15度。ただ4月上旬から9月は高温多湿で、記者が訪れた7月中旬は日中気温30度以上に加えて湿度が高く、瀬戸内の猛暑をしのぐ暑さだった。

 5年前の中英共同宣言では、特別行政区として返還の運命。その後さらに50年間、現体制で高度な自治施行が決まっているが、最近なぜか香港への日本企業進出が目立っている。県下からも3年前の加ト吉、次いでピギー食品など。さらに今夏には百十四銀行の現地法人設立と進出が相次いでいる。県関係の現地工場では、コシの強い讃岐うどんが誕生。現地ファストフード店などで月間10万食以上出回るなど、思わぬうどんブームにも出合った。…(以下略)

 記事から逆算すると昭和62年から、香川の“冷凍うどんの雄”の「加ト吉」と「ピギー食品」が相次いで香港進出をしたようです。中でも「加ト吉」はかなり本格的な進出だったようで、その経緯が別の特集記事で紹介されていました。

(8月27日)

連載「香港の現況」/讃岐うどん、1日10万食を生産

 うどんのルーツは中国。その一角、香港のファストフード店などで今、なぜか讃岐うどんがもてている。仕掛けているのは、新界に工場、市街地2ヵ所で直営店を営む香川県関係の「K&Tフーズ」。昭和62年10月、観音寺市の加ト吉とトーメンが組んで進出した企業だ。

 讃岐うどんが出た現地の消費環境はどうか。中国返還の97年に対する不安の高まりから、家計や企業とも海外投資に積極的。国内消費や投資は抑制ぎみで、昨年の民間消費支出は当局の7%予想を大幅に下回り、実質3%増だった。中心街では大型店などで夏の売り出しが盛んだったが、ブランドものも2~3割引。それでも高級品は売れ行き不振で、購買力が海外移住などの貯蓄に回っているムードがうかがえた。

 香港日本人商工会議所によると、昨年は所得上昇の続く中で6月の天安門事件を機に、住民の耐久品や高級品の消費が急激に落ち込んだ。だが食品など代替えの利かない物資の支出は堅調で、外食でもファストフード店など低価格部門の伸びが高いほか、スーパーの売上高も大幅な伸び率が目立ったという。「商社から香港のスーパー向けに冷凍食品を輸出していた際、市内のファストフード店は昼食時に行列するほど売り手市場と知ったのが進出のきっかけ。初年度で工場と1号店、次の年2号店を設けた。当初、うどんなどそう売れないと思っていたが、1号店の営業で引き合いや需要があり、かなり売れるようになった」とK&T社長はにこやか。

 同社は新界の利進工業センター内の工場で冷凍うどんとチクワなどを生産。直営2店の他、現地の大手外食チェーン、スーパーなどに流している。その反応を聞くと、「当初、うどんの消費は6~7割が日本人と予想したが、実際は逆。日本人は数量で3割、金額で4割まで。どちらも香港人が圧倒的に多い」という。現在、工場で1日10万食以上の冷凍うどんを生産。食べてみるとコシが強く、麺つゆも日本の濃縮物を使用し、まさに讃岐の味。うどんメニューは10~18香港ドル、つまり200~360円で、軽食向きの庶民的な味と値段だった。「人気が良いのはトンカツうどんで、中国での排骨麺(はいこめん)にヒントを得て作ったら好評。熱いのは受けているが、冷やしうどんは好まれない」と、うどん好みのお国ぶりも教えてくれた。

 「加ト吉」の香港進出は昭和62年10月、大手総合商社の「トーメン」と組んで「K&Tフーズ」という冷凍食品会社を設立したのが始まりでした。ちなみに、香港ではこの6年後の中国返還に対して「不安が高まり、国内投資も国内消費も落ち込んでいる」とのこと。そして、「景気が悪くなると安いものが売れる」という原則に従って、うどん人気が高まっているようです。

 続いて、日本経済新聞にも「加ト吉の香港進出」の記事が載っていました。

(11月25日)日本経済新聞

香港で冷凍讃岐うどん 加ト吉、日量1万玉生産

 冷凍食品の加ト吉はこのほど香港で、冷凍讃岐うどんの本格生産に乗り出した。トーメンとの共同出資会社「K&Tフーズ」(本社香港、社長前田勝利氏)に製麺ラインを導入、日量1万玉の冷凍うどんを生産する。香港では日本食への需要が急速に高まっており、同社は讃岐うどんを現地での主力商品に育てていく計画だ。

 うどん製造ラインは「さぬき麺機」(本社香川県高瀬町、社長岡原雄二氏)の最新鋭機を導入したもので、設備投資額は数千万円。日本からうどん原料を輸入、これをうどん状に加工、1玉ごとに選別して冷凍パックする。販売先は日系のレストランの他、最近香港で開店が目立つ日本食のファストフード店などに納入する。

 「K&Tフーズ」は昭和62年、加ト吉とトーメンが香港での冷凍食品の製造・販売を目的に折半出資で設立した。当初、ちくわ、コロッケなどのフライもの主体に製造を開始し、うどんは多い日でも日産1000玉程度の手作業生産にとどめていた。しかし、現地での讃岐うどんニーズが旺盛なため、このほど機械化、本格生産に踏み切った。香港では、日本人駐在員の増加やわが国スーパーなどの進出に伴い、日本食レストラン、うどんのファストフード店が増加している。

 先の四国新聞の記事には「冷凍うどんとチクワなどを生産」とありますが、日本経済新聞の紹介では「当初はちくわやコロッケなどのフライものが主体だったが、ニーズの高まりでうどん生産を強化した」とあります。あと、四国新聞には「1日10万食を生産」とありましたが、日経では「日量1万玉の冷凍うどんを生産」と書かれています。「10万食」と「1万玉」が同じ量だとは思えませんので(それだと1食が麺1本ぐらいになってしまうので・笑)、これはどちらかの新聞が数字のゼロを一つ読み間違ったのではないかと思いますが(笑)、どうでしょう。

 続いて、東京発のコラムに「東京で冷凍うどん商戦が活発化している」というレポートがありました。

(12月12日)

コラム「東京TODAY」

 (前略)…東京では今、この冷凍うどんがスーパーなどにお目見え、冷凍庫の中で”熱い商戦”が展開されている。高松市に本社のある「日本コールドフーズ」は、拠点契約で販路を開発しており、このほど松竹営業部と契約、同社は1日、港区白金台の高級スーパー、シェール・ガーデンでキャンペーンを展開、試食コーナーを設けた。午後だけで3玉入り200パック以上が売れ、状況を見に来ていたコールドフーズの白川忠義社長もエビス顔。日本郵船のクルージング会社とも契約。「船中でも讃岐うどんを」とPRに懸命。

 一方、「加ト吉」の冷凍うどんも一部スーパーに出ており、3日には東京一の規模を誇るダイエー碑文谷店でキャンペーンを繰り広げ、人気を博した。通常3玉入り250円が、この日209円で売られ、なべ焼きとともにコシの強さをPRしていた。冷凍うどんは、すでに大手食品会社も進出。讃岐うどん、手打ちうどんは、いま首都圏で大きく伸び、ソバに挑戦している。ダイエーの麺類のブースもこのところ「讃岐うどん」と銘打ったパックが出ており、冷凍うどんだけでなく、”讃岐うどん”はいま首都圏に進出し始めた。

 「日本コールドフーズ(高松市)」と「加ト吉(観音寺市)」が東京で冷凍うどんの販売を積極的に展開しているそうです。四国新聞の広告では昭和63年に加ト吉が初めて冷凍うどんのラインナップを前面に打ち出した広告を掲載していましたが(「昭和63年」参照)、この記事には「冷凍うどんはすでに大手食品会社も進出」とありますから、昭和60年代から平成の頭にかけて、冷凍うどんが盛んに販路を拡大し始めた時代だったようです。

 ではここから、ちょっとスケールは小さくなりますが、讃岐うどん業界の「県内の動き」を拾ってみましょう。

「さぬき麺業」がオープンラッシュ

 丸亀駅前の「ピコ丸亀」というショッピング街にグルメタウンが併設され、そこに「さぬき麺業」が出店しました。

(4月29日)

「ピコ丸亀」にグルメタウン完成 クッキー店など営業開始

 JR丸亀駅前のショッピング街「ピコ丸亀」にグルメタウンが完成、28日から営業を始めた。グルメタウンに入居しているのは、手づくりクッキーのアントステラ(東京・ローリードール)、レストハウスのワラ(高松・四国観光弘業)、さぬき麺業(高松・さぬき麺業)の3店。駅舎から宇多津方面の高架下にあり、延べ417平方メートル。JR四国の子会社「丸亀ステーション開発」が昨年11月3日に営業開始したピコ丸亀は、グルメタウンのオープンで、ファッション関係の店舗などが入居しているクリエイティブライフマーケット、チアフルファクトリーの3ゾーン(16店)となった。…(以下略)

 「さぬき麺業」は前年4月に満濃店(「こんぴら丸」の中)、12月に空港店、そしてこの年は3月に三条店、そして4月に「ピコ丸亀」に出店と、ここに来て一気の出店ラッシュです。オープン広告を見ると、さぬき麺業はこの時点で県内に高松本店、ジャスコ栗林店、通町店、松並店、小山店、府中店、宇多津店、満濃店、空港店、三条店、ピコ丸亀店、そして県外のジャスコ茨木店を加えて計12店舗を展開していたようです。

H2年広告・さぬき麺業三条店オープン

H2年広告・さぬき麺業ピコ丸亀店オープン

“ドカベン”香川選手が高松に「ドカベンカンパニー」を設立

 大阪の浪商から南海ホークスに入団して活躍し、水島新司の漫画『ドカベン』の「山田太郎」の実写版みたいなキャラで人気を集めた香川伸行さんが、引退後に讃岐うどんの通信販売会社「ドカベンカンパニー」を設立しました。

(6月2日)

香川さんの愛称が会社名 ドカベンカンパニー(高松市内町)

 4月から営業をスタートした讃岐うどんの全国通信販売店。プロ野球の南海、ダイエーで捕手として活躍、昨年、現役を引退した香川伸行さんが代表取締役会長に座る。ファンから親しまれた香川さんの愛称”ドカベン”が、そのまま会社名となった。高松市十川西町のうどんメーカー「讃岐屋食品」と提携。商品は現在、生うどんが800~5000円の4種、打ちたてが3000円、5000円の2種そろっている。”ドカベン”人気も手伝って、全国から問い合わせが相次ぎ、大口受注にも恵まれて好調な滑り出し。次は夏の中元商戦にターゲットを絞ってPRに懸命だ。野球解説などで多忙な香川さんも月に一、二度は来高。販売促進のため、率先して街頭に立つ。永峰二郎社長は「将来的には、うどんに限らず他の食料品や日用雑貨なども扱いたい」と意気込んでいる。…(以下略)

 当時出た広告がこれ。お土産うどんの商品パッケージは確か水島新治さんのデザインだったと思いますが、残念ながら香川さんは52歳の若さで亡くなりました。

H2年広告・ドカベンカンパニー

「かな泉」と「JR四国」と「加ト吉」の新技術&オープン情報

 続いて、日本経済新聞に「かな泉」と「JR四国」と「加ト吉」のビジネスニュースが3本載っていました。まずは年頭に出た「かな泉」の冷蔵保管技術開発のニュース。

(1月24日)日本経済新聞

生うどん72時間保管 うどんの庄「かな泉」、新方式を開発

 讃岐うどん製造の大手、うどんの庄「かな泉」は、このほど6時間程度の保管が最高と言われていた生うどんを72時間冷蔵庫で保管する方式を開発した。直営店全12店でこの方式を実施する。うどん店は麺の保存の関係で労働時間がどうしても長くなりがちだが、同社では「新方式により労働条件の改善が進む」と期待している。同社は業務用生うどんについて、最高の食味を維持した状態での保管を1年がかりで研究していた。保温機器、温度、湿度、材料などの面で検討を重ね、温度は零度以下、湿度90%程度に保てば同社がこれまで使っている小麦粉で72時間保管に耐えることがわかった。

 技術開発というのは大小を問わず人的、資金的投資を伴いますから、やはり大手ならではの取り組みだと言えます。続いて、「JR四国」と「加ト吉」のオープン情報。

(8月30日)日本経済新聞

JR直営パン・うどん店増設

 JR四国は、焼きたてパン店「ウィリーウィンキー」と讃岐うどん店「かけはし」を増設する。9月1日、JR三津浜駅(松山市)構内にパン店をオープンする他、5日にはJR観音寺駅内にパン店とうどん店を開業する。パン店は13店目、うどん店は7店目で、JR四国の直営店(駅架設店除く)は59店となる。

(12月23日)日本経済新聞

琴平にうどん工房、今日オープン(加ト吉)

 加ト吉グループは23日、香川県琴平町に「こんぴらめんこいむら」をオープンする。冷凍うどんの製造見学施設やレストランなどを持つアミューズメント施設で、主にこんぴら参りで同町を訪れる観光客を対象に売り込んでいく。企業イメージの向上につなげたい考えだ。「こんぴらめんこいむら」は約4300平方メートルの敷地内に建設。目玉は冷凍うどんの製造工程を消費者に公開する「カトキチ・さぬきうどん工房」。

H2年広告・讃岐うどん工房オープン

「得得」の高松進出に関する特集記事が登場

 県外資本のうどんチェーン「得得」が高松に進出してほぼ1年、日本経済新聞がその経緯を特集記事で紹介していましたので、小分けにしてポイントを探ってみましょう。

(6月10日)日本経済新聞

讃岐に“よそもの”うどん店 大衆性ねらった全国チェーン店、本場・高松に進出
深夜営業や雰囲気工夫 「王国にもスキあった」 地元業者は「よもやここに」

 讃岐うどんを看板にする店が全国各地に進出することはあっても、まさか、“よそもの”のうどんが乗り込んでくるとは、“うどん王国”の香川県の人たちも思わなかったに違いない。だが、そのまさかが起きた。しかも、客の入りも順調だというではないか。

 香川県内の讃岐うどん店は県の推計で約1000軒。そのうどんの本場に昨年夏進出したのは、うどんの全国チェーン店「得得」(本社・大阪市)の高松店。同店を運営しているのは、四国の営業権を持つ「栗田商店」(本社・高知市)である。

 しゃれた和風の平屋建て。店内はゆったりしている。ランチタイムに訪ねたら、70ほどある席は満席だった。「おかげさまで、地元の方にこうやってお越しいただいております。月平均だと1万5000~6000人になりますか」と同商店部長の三谷潤さん。三谷さんは、高松進出を決断した責任者だ。よりによって、どうして本場に店を出したのか。

 「うどんと言えば、讃岐うどん。そりゃ、大丈夫かなと心配でしたよ」。しかし、出店の可能性を探る調査をしているうちに、やっていけそうな自信が芽ばえてきたという。「有名店をはじめ、いろいろな店を食べ歩きました。ところが、讃岐うどんと言ってもさまざま。麺も太いのもあれば細いのもある。コシの強弱も違う。お客さんの好みも同じではありませんしね」。“うどん王国”ならではのスキも見つけた。「味にこだわるあまりか、ゆっくり食事が楽しめるレストランの雰囲気の店があまりないんですね」。

 三谷さんが指摘する、讃岐うどん店のスキはまだある。閉店時間がかなり早いことだ。午後9時以降開いている店はほとんどない。「得得」高松店では、午前零時まで営業している。うどんの味に対する考え方でも、出店できる余地を見出した。「ある程度以上の店では、“讃岐うどんはこうでなければならない”といった気構えというか主張があるように思います。本場の店の方針としては当然だと思いますが、うちは大衆性をねらいました。つまり、“すき間産業”としてやっていけると判断しました」。

 「得得」は出店に際しての市場調査で、当時の讃岐うどんの店の状況を、

●讃岐うどんの店は麺の太さもコシも、客の好みも違う。
●讃岐うどんの店には、ゆっくり食事が楽しめるレストランタイプの店が少ない。
●讃岐うどんの店は閉店時間が早く、午後9時以降開いている店がほとんどない。
●讃岐うどんの店は、こだわりが強くて大衆性に欠ける。

…という感じで捉えていたようです。「大衆性」という点では、そもそも「うどん」が大衆性の代表みたいなものですから、少々自社の展開を擁護した発言のきらいはありますが(笑)、大体今もそんな感じでしょうか。その「得得」の高松進出について、「さぬき麺業」と「わら家」のコメントが2つ。

 地元のうどん店では、この進出をどう受け止めているか。香川県が主催している第10回讃岐うどん品評会で農林水産大臣賞、今年(第12回)も食糧庁長官賞を受賞している「さぬき麵業」の社長香川政義さんは、二、三度、「得得」の店を“視察”している。「『得得』の存在は知っていましたが、よもや香川に来るとは思ってもいなかったですね。うどんの味でと言うより、豊富なメニューとレストラン形式なのが受けていると思います。ああいった店もあっていいのではないか」。

 メニューはかまあげうどんとざるうどん、生じょうゆうどんの3つしかない伝統型の代表的な店「わら家」店長の山田一美さんは、「得得」の進出に関心を示さない。「若いお客さんの中には“肉うどんはできないか”などと求められる人もいるし、好みは様々ですから、特に気にしてはいません。うちはうち、よそはよそです」。とまれ、讃岐うどんの看板を掲げないうどん店の10カ月余の営業成績はまずまず。本場の人たちの舌も拒絶反応は起こさなかったようである。

 「さぬき麺業」も「わら家」も、それなりに余裕のコメントです。まあ、こういう取材にあまり狼狽したようなコメントは出せませんので(笑)。そして記事の締めに、真部先生のコメントも載っていました。

讃岐うどん、伝統も薄れる傾向 「ブーム以前の味」復活望む声

 讃岐うどんとはどんなうどんを言うのか。例えば、全国製麺協同組合連合会では、「さぬき名産」などと表示する場合の基準について定義している。食塩・水の量、熟成時間、ゆでる時間など他県でもできる要素を除くと、特徴的なものとしては、
①香川県内で製造されたもの
②手打ち、手打式(風)のもの
ぐらいしか残らない。もっとも、②にしても香川県独自というには心許ないように思えるが、香川大農学部教授で、讃岐うどん研究会会長の真部正敏さんは、「昭和30年代まで、うどんを打つ家庭が珍しくなかった“うどん県”だけに、他の県より手打ち、手打ち風の店が多い。だから味の水準が保たれているんです。讃岐うどんの特徴に挙げていい」と言う。

 麺の特徴は? 「つけ汁のダシをとるのに、煮干し(いりこ)を使っているのも、その一つです」。しかし、今では香川県内で指折りの有名店の中にも、「他の地方の人が抵抗なく受け入れられる味を」と、煮干し特有の風味(これは人によっては臭み、苦みになる)を避けているところもある。同研究会の調査結果でも「煮干しをダシの材料にする店が減っている」という。

 「讃岐うどんブームになったのは、そんなに古いことではない。昭和40年代半ば頃からである。それとともに、うどん文化の伝統が徐々に薄れつつある」。真部さんが研究会を作ったのもそんな危機感からだが、その真部さんは、ブームになる前の香りのある讃岐うどんの復活を切望している。「今は香りがなくなっている。ほとんどがオーストラリア産の小麦を材料にしているからです。全部の店とは言いませんが、香川産の小麦を使う店が多くなってほしいですね。そうでないと、将来、讃岐うどんは単に香川で作られたうどんということになりかねません」。

 締めは「得得」の高松進出に対するコメントではなく、「オーストラリア産小麦は香りがない、県産小麦を使う店が増えて欲しい」という真部先生の自説の紹介でした。真部先生は頑ななほど一貫して、「県産小麦奨励」と「オーストラリア産小麦の否定」を主張されています。

王者「かな泉」の紹介記事

 同じく日本経済新聞に、讃岐うどん界の“王者”「かな泉」の最新紹介記事がありました。

(9月22日)日本経済新聞

連載「企業クローズアップ」…うどんの庄「かな泉」 東京・大阪進出を狙う

<職域食堂向け卸で礎>

 讃岐うどんの卸・小売業最大手。創業は昭和24年と新しいが、斬新な販売手法を取り入れ、うどんの本場、香川県内でナンバーワンの地位を確立した。現在、社内組織固めに努めているが、数年後には東京、大阪などの都市圏に高級うどんの味を引っ提げて進出する計画だ。

 戦後復員した泉川社長が手がけたうどん玉の製造、卸が始まり。当初、県下に数多ある製麺会社の一つに過ぎなかったが、時流を見据えて販売先を開拓、40年足らずで年商20億円台のトップメーカーとなった。創業当時のうどん販売と言えば、小さなうどん屋や八百屋への納入が大半。どの製麺業者も味にはうるさいが、販売は旧態依然としたままだった。そこで泉川社長が始めたのが、職域食堂への卸だ。役所や大手企業の昼食用としてうどん玉を大量に販売。これで社業の礎を築いた。続いて昭和30年代にかかると、店舗を増やし始めたスーパーへの売り込みを開始。うどん卸業では押しも押されもせぬ存在となった。

<高級直営店を展開>

 加えて、業容拡大の契機となったのが昭和36年の直営うどん店の開業だ。高松の繁華街のど真ん中、大工町に当時の最新設備で大型店をオープン。「これからは近代的な店で高級うどんを食べる時代が来る」(泉川社長)との狙いだったが、昔ながらのうどん屋に慣れた讃岐っ子の間からは「これでかな泉も終わり」との声が聞こえたという。

 店舗前面にはうどん打ちコーナーを設置、今では全国どこでも見られる職人の手打ちパフォーマンスをわが国で初めて取り入れた。この「顧客を楽しませる」戦略が奏功し、直営店は大繁盛。以後、同社はのれん分けを含めて県下や松山、大阪、倉敷などに店舗網を広げていく。また店内には一級の芸術品を並べ、「高級うどんはかな泉に学べ」との“常識”を業界で確立した。

<社内組織固め推進>

 現在、強力に推し進めているのが、社業の機械化・合理化だ。3年前にコンピューターを導入、一杯あたりのうどん玉の量さえ店ごとにバラバラだったサービス内容をマニュアル化、原価計算を徹底して店舗別独立採算制を取り入れた。さらに有能な管理職を迎え、「あと1年で内部の組織固めを終えたい」という。こうして足元を固めた後、「巨大市場の東京か大阪へ乗り出す」計画だ。四国市場だけでは企業成長にも限りがある。「大都市に出て、初めて企業としても大人になれる」と泉川社長は意欲満々だ。

 合わせて掲載されていたビジネスデータによると、当時の「かな泉」の人員構成は「正社員140人、パート210人」とのこと。そして、売上の推移も載っていました。

H2年記事・かな泉・売上推移

 昭和63年の伸びは瀬戸大橋効果。そこから少し減ってきているものの、うどん業界で年商20億円オーバーは、やはり“王者”です。

商工会連合会が観光指針で「讃岐うどんに頼りすぎ」と提言

 商工会連合会が「観光型産業開発への指針」を発表。その中に「讃岐うどん」に関する提言がありました。

(2月24日)

「うどん」に頼りすぎ ほど遠い情報発信基地 観光型産業開発へ指針(県商工会連合会)

 県商工会連合会(都村忠弘会長)は23日、瀬戸大橋開通や高松空港の開港などに伴い、会員の商工業者ばかりではなく、官民の関係団体などに今後の新しい観光開発に生かしてもらおうと「観光型産業開発への指針」をまとめて明らかにした。…(中略)…指針はまず、県外観光客を対象に実施した意識調査や県内各地域の観光開発状況についての結果を分析。この中で、観光香川の現状について「讃岐うどんに頼りすぎ」ていることの他、県外者からみれば「香川は情報発信基地になり得ていない」ことなどを指摘している。…(中略)…

 このうち、観光物産開発の可能性と課題では、観光物産としてなじみの多い食料品分野を取り上げ、従来の伝統技術のうえに新感覚として「香り」や「若者向け」などの要素を加えることが重要になるのではないかと示唆。その具体的提案として、
①麺類は線形から平面形にして、しょうゆ味から肉スープ味やスパイスを効かした味にする。
②ハーブを原材料にしたハーブティーやオーデコロンなどの「ハーブグッズ」を考える。
などを挙げている。

 「香川の観光は讃岐うどんに頼りすぎている」という提言ですが、この5~10年後に空前の「讃岐うどん巡りブーム」がやって来て、「讃岐うどんに超頼りすぎだけどオッケー」みたいな状況になってしまいます(笑)。さらに、「麺類は線形から平面形にして、しょうゆ味から肉スープ味やスパイスを効かした味にする」という提案もありましたが、こちらも「肉スープ味やスパイスを効かした味」ではなく、「シンプルな田舎のかけうどん」が主役で「讃岐うどん巡りブーム」が起こってしまいました(笑)。

東京の物産店には引き続き「玉藻」が「讃岐茶屋」を出店

 続いて、久しぶりに物産店の記事が。

(3月10日)

“四国の味”に舌鼓 東京で観光と物産展 手打ちうどん実演も

 「しあわせランド四国」をテーマにした四国の観光と物産展(四国ブロック物産斡旋協議会主催)が東京新宿の小田急百貨店で開かれており、大勢の人たちでにぎわっている。香川からはクロマツの盆栽など植木類、おなじみの讃岐うどん、細天、じゃこてん、しょうゆ豆、和三盆糖、茶、食用オリーブ油など食品の数々。高知からはカツオ、イカ五目めし、ゆず酢、愛媛は伊予柑、てんぷら、ちりめんじゃこ、徳島の鳴門ワカメ、木工品などが山積みされ、黒山の人だかり。香川からは18業者が出展した。東京新橋の讃岐うどんの店「玉藻」も讃岐茶屋を出店、手打ちうどんの実演やゆでたてのうどんを提供。…(以下略)

 四国の観光キャンペーンのキャッチフレーズが前年から「しあわせらんど四国」に変わりましたが、物産店会場のうどん店の「讃岐茶屋」は、引き続き新橋の讃岐うどん店「玉藻」が出店しています。

「讃岐うどん」のいろんな話

 「街角散策」「美味散策」という特集記事の中に、讃岐うどんに関する記述が出てきました。まずは「街角散策」の記事を小分けにして見てみましょう。

(5月15日)

特集「街角散策」/うどん屋だけになぜ並ぶ? さすが王国ならではの場面

 高松市中のうどん屋で、昼時サラリーマンの行列が見られるようになったのは、昭和40年代頃からのこと。それまでうどん屋がなかったわけではないが、その頃は大衆食堂で食べる時代であったからだろう。食指向の分化によって、もともとうどん好きの讃岐人のこと、うどんを一つの世界として独立させてしまった。

 高松周辺の製麺業は250軒ある。うどんを食べさせる店は当然それを上回るはずだが、確かな数は誰も知らない。店も大衆的なセルフサービス店からいかにも高級感あふれる割烹風のものまでさまざま。行列を作っているのはセルフ店で、かけうどん一杯が100円から120円ほどと、県外の人から見ると驚くほどの安さ。

 まず、「昭和40年代に入るまでは、うどんは大衆食堂で食べる時代だった」という解説です。過去の新聞や「昭和の証言」からもそういう状況は十分窺えますので、これはもう讃岐うどんの歴史の定説としてもよいと思います。そして、うどん店の数については確かに「確かな数は誰も知らない」のですが、何度も指摘したように県の商業統計が「そば・うどん店/ 634店」という数字を出して新聞にも掲載されていますので、そこは新聞記者としてはきちんと触れていただきたかったと思います。

 街中の列は勤め人が多いためか行儀もいいが、郊外へ出ると多少趣が変わってくる。田んぼに囲まれた農家の納屋の前で丼を持ってうどんを待つ行列は、一見異様とも見える。湯がき立ちを水洗いしたものを桶の中から手づかみで一人一人の丼に放り込んでくれる。量は目分量。お代わりの場合はその丼を持って再び列の後ろへ付く。こんな店は丸亀、坂出、琴平など中讃方面に多く、中にはネギ、大根などの薬味まで客の持ち込みというユニークな店にもぶつかる。地元の人さえよく知らないそんな店へも最近サラリーマン風の人たちがやって来るようになった。

 ここは注目。ここに書かれている「郊外の田んぼの中の農家の納屋で丼を持ってうどんを待つ」とか「その丼に水洗いをしたうどんを手づかみで入れてくれる」というのは、まさに後に「空前の讃岐うどん巡りブーム」を起こすことになる「“怪しい”製麺所型うどん屋」のことです。そして、「地元の人さえよく知らないそんな店にサラリーマン風の人たちがやって来るようになった」とのこと。

 筆者がそういううどん屋を知ったのも、この2年前の1988年にサラリーマンの知人に連れて行かれた時です。そして、その「“怪しい”製麺所型うどん屋」のお笑い探訪記「ゲリラうどん通ごっこ」をタウン誌に連載し始めたのが1989年(平成元年)の1月で、この新聞記事が出た平成2年(1991)の5月時点で、連載はすでに2年目に入っていました。いよいよブームの“芽”が動き始めました(笑)。

 高松は支店の多い町。転勤してきた“高チョン族”が同僚と連れだってうまいうどんを漁る。自分で温め、好みによって食べ方を変える。都会からの人にはこの素朴さがこたえられない。1人当たりのうどん消費量は全国平均の4倍。香川県内にファミリーレストランが少ないのも「うどん屋とうどん好きが多すぎる」からと関係者を嘆かせるほどの店が事実ある。讃岐人にとって、なにしろ「うどんは別腹」なのだ。

 今や死語となった「高チョン族」なる言葉が新聞に出てきました。「チョンガー」というのは元々は独身男性のことを指すスラングみたいな言葉だったのですが、それが転じて地方に単身赴任でやってきた人のことも指すようになり、支店の多い高松に単身赴任で来た人たちを「高(たか)チョン族」、同じく博多に単身赴任で来た人たちを「博(はか)チョン族」、札幌に単身赴任で来た人たちを「札(さっ)チョン族」などと呼んだりしていました。

 続いて、「美味探索」の特集記事に出てきた讃岐うどんの記述です。

(5月15日)

特集「美味探索」/うどんと押し抜き寿司

 讃岐といえば、まず期待されるのがうどん。讃岐人にとってうどんは主食材といっても過言ではないほど毎日食べるし、その事実も全国に広く知られている。かつて香川県人はハレの日、つまり何かの祝い事には必ず家でうどんを打った。粉を練り、延ばして包丁で切り、釜で茹でた。今はその風習も途絶えたが、その分、うどん屋が商売として成り立ってきている。

 うどん屋では様々な食べ方をさせる。普通、茹で上がったうどんはすぐ水洗いされるが、水洗いによってうどんは身を引き締め、一旦固くなる。うどん独特のコシと適度の柔らかさが出てくるのは数分後のことで、その時が食べ頃。さらに数十分経つと今度は間延びしてしまい、のど越しが悪くなる。おいしく食べるタイミングがそのあたりにある。

 “釜あげ”は水洗いする前に、ゆで汁と一緒に釜から直に丼に取り、熱いものをつけだしで食べる食べ方。茹で上がる直前にしか取れないから、少々時間がかかる。生醤油かけは、うどんに直接醤油をかける。香川産独特の極細ネギをまぶすように入れ、ショウガ、大根おろしを好みで混ぜ合わせ、ツルツルとすすり込むようにして食べる。ぶっかけうどんもまた変わった食べ方。もとはつけだしにつけていたものが面倒になってだしをぶっかけたもの。店によって味が異なるところがおもしろい。瀬戸大橋が架かって以来、香川県にも観光客が増え、うどん屋もさらに増えた。そして新しいメニューの考案も盛んになってきている。若者向きのサラダうどん、年寄り向きのわんこうどんも変わった味わい。

 うどんと切り離せないのが寿司の類。大半のうどん屋にはバラずし、いなりずしが置いてある。…(中略)…うどんがある限り、ドジョウ鍋も食通にはこたえられない。ドジョウは生きたまま、うどんも生のまま鍋に放り込み、ゴボウ、里芋、アゲなどの具をたっぷり入れてぐつぐつと炊く。炊き上がったらタカノツメのぶつ切りを入れ、おろしニンニクをたっぷり混ぜて、ふうふう吹きながら食べる。ドジョウが輸入品に変わってから高松市内では店が減ったが、郊外に残った昔ながらの店へ出かけるのも楽しみの一つである。…(以下略)

 このあたりは讃岐うどんの一般的な紹介ですが、「水で締めた直後ではなく、数分後がおいしく食べるタイミング」とか、うどん通ならではの“物言い”も出てきて、なかなかの記事です。

 次は、「讃岐の物産」という連載コラムに出てきた記事。

(5月15日)

讃岐の物産/うどん

 「うどん」と言えば「讃岐」の二文字が返ってくるほど、讃岐名物手打うどんの名前は全国的にも知られる。讃岐うどんの味の良さは、良質の小麦と、水と塩の加え加減で決まる。讃岐秘伝の塩加減は「土三寒六」。暑さが盛りの土用の頃は水が三に塩が一、寒さが極まる歳寒時には水が六に塩が一といった配分になる。この塩加減で小麦粉を練り、寝かし、足で踏んでコシをつけたうどんは、歯ごたえもコシコシとツヤもよく、のど越しツルツルと絶品のうまさとなる。うどんは奈良時代に伝えられたとも、弘法大師に伝授されたとも言われる。讃岐路で食べるうどんの味は格別だが、風味をそのまま日持ちさせるように工夫された「半生うどん」「生うどん」など、土産物としても人気を呼んで広く賞味されている。

 これも一般的によく言われている内容をなぞった記述です。けど、次のはちょっと…

(6月8日)

「食は讃州に在り」第28回全飲連全国香川県大会特集

 名物さぬきうどん。香川では昔から「うどんは別腹」と言った。食事をした後でも、うどんを出されると何くわぬ顔で平らげる。うどんをおやつ代わりにする人も。食糧庁の統計によると、都道府県別の生産量で東京・埼玉のマンモス消費都県を抑えて、香川が全国第1位にのし上がった。ゆでうどん、生うどん、乾燥うどん合わせて生産数量は実に2万4900トン。

 「土・三・寒・六」の塩加減、水の配合で独特の舌ざわり、こし、つや、のど越しの味が出来上がる。塩加減、打ち方、ねかし方、ゆで具合、地粉の割合などによって、それぞれ個性的な味が現出する。うどん店や製麺所によって微妙に違う弾力性や味わいが、互いに競い合って讃岐うどんをさらに一層、芸術の域へと高めていく。

 この年、香川県で開催された「第28回全国飲食業環境衛生同業組合連合会全国大会」の紹介記事の冒頭に書かれていたリード文ですが、「土三寒六」を「土・三・寒・六」と1文字ずつ区切って書かれていました。それでは「土は三、寒は六」という意味が通じなくなってしまうので、これは記事を書いた人の失策ですね(笑)。

「外国人の前ではうどんをすするな」論争勃発?!

 読者の投書欄にこんなのが載っていました。

(1月29日)

読者投稿/外国人同席のうどん注意を

 讃岐の代表的食べものであるさぬきうどんは、「思い切り音を立ててすするのがおいしい食べ方」と、その”通”の方からよくお聞きします。実際、私自身も実感しています。ところで、外国の方、特にアメリカ、ヨーロッパの人々と同席する時、また招待する時は音を立てて食べないよう心がけなければならないようです。外国人はすすらないし、細かく切って食べるのが習慣のようです。女性は特に、讃岐人の食べ方に戸惑うようです。国際化が進んでいるわが国の現状ですから、商談などで外国人を招待する時は特に配慮しなければ、せっかくの商談が思わぬ方向に展開しかねないことを自分も含め、十分肝に銘じておかなければ…と思います。(寒川町・農業・63)

(2月12日)

読者投稿/自然体で外国人迎えよう

 外国人同席のうどん注意を読んで、私は外国人が戸惑うような食事やいちいち気がねをするような所への招待はなるべく避けるように心がけ、もし、「ぜひさぬきうどんが食べたい」とのことで招待するような時には、讃岐人のうどんを食べ方を話しながら、ともに楽しく気がねなく食事をするようにします。仮に、自分一人がうどんを音をたてないで食べるよう配慮しても、周りの人々の食べている様子を見ればわかることで、私たちがうどんを音をたてないで食べることは長い習慣からして無理であり、そのためにハシの動きもぎこちなく、せっかく楽しいはずの食事の雰囲気も阻害されると思います。

 私は、うどんが好きで、市内のうどん専門店に、しばしば立ち寄ることがある。その時、外国人に時々お目にかかる機会がありますが、うどんの湯気を吹きふきおいしそうに音をたててすすっている光景に出合った時、何かほほえましい心なごむ親しみを覚えるのである。最近、観光の国際化に伴い、特に、瀬戸大橋や新空港により、県下にも多数の外国人が訪れるようになった。私たちは、外国人や外国人旅行者を「特別扱い」することなく、自然の姿で無理のない心の触れあいを大切にする配慮こそ必要ではあるまいか。(高松市塩上町・高松市老人クラブ・73)

 「郷に入れば郷に従え」とはよく言われますが、「外国人がこっちの“郷”に入ってきたら、入ってきた外国人にこっちが合わせなければ…」みたいな意見に「そうじゃないだろう」という反論が一本。今ならネット上でプチ論争になりそうな話ですが、ネットのない時代ですから、無用の炎上は起こりません(笑)。まあある意味、いい時代でしたね。

「うどん早食い」イベントが6本も!

 ではここから、うどん関連イベントを見ていきましょう。まず、恒例のイベントや行事は以下のように予定通り行われました。

●5月15日……「第12回さぬきうどん品評会」開催。農林水産大臣賞は高松市の「上原製麺所」。
●7月1日~…「第9回さぬきうどんまつり(献麺式、うどん無料接待)」開催。
●7月20日~…「第10回さぬきうどんラリー」開催。
●8月5日……「第5回輝け!!どぜう汁日本一大賞(おじょもまつり)」開催。

 加えてこの年、特に目立ったのが、いろんなまつり会場などで行われた「うどん早食い」イベント。おなじみの「丸亀お城まつり」と「高松まつり」だけでなく、「詫間港まつり」、「みろく自然公園納涼まつり」に「RNCチャリティーボウリング大会」まで、新聞で確認できただけでも5カ所で「うどん早食い大会」が行われていました。

H2年広告・うどん早食い・丸亀お城まつり

H2年広告・うどん早食い・高松まつり

H2年広告・うどん早食い・詫間港まつり

H2年広告・うどん早食い・みろく自然公園納涼まつり

H2年広告・うどん早食い・RNCボウリング大会

「山賊村」で「流しうどん」

 続いて、その他のうどん関連イベントの記事。

 まず、白鳥町の「山賊村」で「流しうどん」が登場しました。

(6月26日)

流しうどんが涼感 山あいで讃岐の味満喫(白鳥)

 白鳥町の山あいにこのほど、流しそうめんならぬ「流しうどん」がオープンした。自慢の手打ちうどんをひんやりした冷水に流して味わうのどごしは格別。店開きと同時に早くも家族連れやドライバーに大もて。オープンしたのは徳島との県境を貫く国道318号鵜の田尾トンネルから北へ1キロほど下がった所にある「山賊村」。地元の農業丸田文彦さん(36)が「恵まれた阿讃の自然を満喫しながら本場の味覚を存分に味わってもらおう」とアイデアを絞った、観光シイタケ園、ボリュームたっぷりのマツタケうどんに続く観光客誘致作戦第3弾。

 流しうどんは、テーブルに乗せた円形の水槽の中に引き込んだ水道水の水圧で手打ちうどんをくるくる回す仕組み。お客さんが好きな量だけ箸ですくって、ひんやりとした讃岐の味を満喫する。さらに、フジ棚の木陰に人工のせせらぎを配して涼しさを演出。「流れやすいようにうどんを少し細くした。手打ちの味は自慢できます」と丸田さん。都会の雑踏から逃れようとする都会人たちにも大受けしそう。流しうどんは一人前500円。

 「流しそうめん」はそれなりに“夏の風物詩”にまで定着しましたが、「流しうどん」は“奇をてらったイベント”みたいなイメージが強くて、ここまでなかなか定着していません。そうめんと違って「うどん屋さん」があまりに強すぎて、うどんは「うどん屋で普通に食べて十分うまい」からなんでしょうか。ちなみに、「流しきしめん」や「流し稲庭うどん」もイベント的にはあるそうです。

打ち込みうどんの「綾南鍋」が登場

 綾南町で「綾南鍋」という打ち込みうどんが登場しました。

(3月28日)

「綾南鍋」作り試食 生サケなど入れ、打ち込みうどん 学校給食会が調理研修

 綾南町学校給食会は26日、町役場で調理員研修会を開き、北海道の石狩鍋を香川風に調理して「綾南鍋」を作り、試食した。同給食会は毎年、学校給食週間に姉妹縁組を結んでいる北海道の秩父別町と郷土料理のメニューを交換しており、石狩鍋は昨年実施して子供たちに好評だった。この石狩鍋を食べた綾南町さぬきうどん研究会の会員から「さぬきの打ち込みうどんとミックスしたら」と提案があり、この日の研修メニューに取り上げられた。「どじょう汁は嫌いな人がいるが、これならいける」と、生サケと白子を使ったみそ仕立ての打ち込みうどんは「綾南鍋」と命名された。「サトイモが入ると粘るので子供は嫌うかもしれない。北海道へもこの日の料理法を知らせてあげたい」と、「綾南鍋」の普及に話の花が咲いていた。

 過去に、五色台にちなんでニンジン(赤峰)、ネギ(青峰)、 とうふ(白峰)、油揚げ(黄峰)、焼き海苔(黒峰)を使った「五色打ち込み」というのが出てきましたが、それを考案したのは五色台学習をしていた綾歌中学の生徒と先生でした(昭和46年参照)。いずれも今日、定着はしていませんが、お隣同士の綾南と綾歌が共に“ネーミングされた打ち込みうどん”を考案したことがあるというのも何かの縁。今は綾歌町は丸亀市になり、綾南町は綾川町になってしまいましたが、この際、合併市町なんか超えて手を組んで、メニューを復活、発展させて「創作打ち込みうどんの里」で打ち出してはどうでしょう(笑)。

“櫃石の味覚”、「天然ワカメうどん」はいかが?

 続いてこちらは、櫃石島の櫃石小学校で卒業生がうどんを作ったという記事。

(2月27日)

僕らの手作り”島の味” 櫃石小の岡田君と浜本君、卒業前に住民をうどん接待 2日がかりで300食

 卒業生の男子児童2人が手作りワカメうどんをサービス。架橋の島、坂出市櫃石島の櫃石小(小林功校長、15人)で26日、島の住民と学校のふれ合いの場、「春のつどい」が開かれ、約150人の住民が児童たちとともに楽しい一日を過ごした。「春のつどい」は毎年、卒業シーズンに卒業生を主役に、島をあげて行っている恒例行事。今年卒業する2人の生徒は前日から母親らに手伝ってもらって300食の手打ちうどんを準備。ワカメも島の南、歩渡島で2人が2時間がかりで採取した天然ワカメで”櫃石の味覚”として住民たちにサービスした。…(以下略)

 櫃石島は瀬戸大橋の橋脚の島で、櫃石小学校は平成27年に休校となった小さな小学校ですが、ここに出てきた「“櫃石の味覚”としての手作りワカメうどん」も、櫃石小学校のストーリーを背景にした復活プロモーションの“芽”になる素材かもしれません。

讃岐うどんと瀬戸内海のタコをコラボした「うどん入りシーフード・ドリア」

 子供たちのオリジナルグルメを競う「ちびっこグルメピックSHIKOKU」というイベントがあり、四国大会で香川のちびっ子が「うどん入りシーフード・ドリア」で準優勝しました。

(8月9日)

発想もユニーク ちびっこグルメピックSHIKOKU 8組が腕前競う

 第5回ちびっこグルメピックSHIKOKUグランドチャンピオン大会(四国調理師専門学校主催、四国新聞社など後援)が7日、高松市天神前の同専門学校で開かれた。会場には、四国4県から選抜された計8組の腕自慢が参加、郷土食豊かなメニューに日ごろの成果を競った。…(中略)…グランドチャンピオンの兼市ペアの作品は、「ソーメン」の川に「チクワ」のイカダを浮かべた「あわっ子いかだ」、吉野川を連想させる鮮やかな盛り付けが審査員を感心させた。留田、細川ペアの作品は「うどん入りシーフード・ドリア」。「チーズがうまく溶けず、予選よりも苦労しました」と言いながらも準グランドチャンピオンの受賞にニッコリ。讃岐うどんと瀬戸のタコをふんだんに使った作品が審査員の目を引いた。

 やっぱり香川県民のローカルグルメの創作ものにはすぐに「うどん」が出てきますが、前年あたりから何かを練り込んだ系の麺や創作メニューの記事がずいぶん増えてきました。いずれも大きな人気メニューに定着するには至っていませんが、この頃は特に、あちこちでうどんメニューのバリエーションに取り組んでいた時代だったのかもしれません。

讃岐うどん研究会がうどんのルーツを求めて訪中

 讃岐うどん研究会が、真部会長を団長に製麺、製粉の業界関係者やうどん研究家の方々約15人の訪中団を組んで、讃岐うどんのルーツを探る中国の旅に行きました。その経緯と報告が記事3本にわたって紹介されていましたので、まずは訪中計画の発表記事から。

(5月28日)

さぬきうどんルーツ求め、8月に中国の4都市訪問 研究家ら計画 味比べなどの交流も

 うどんを日本に伝えたのは誰か。ベールに包まれた讃岐うどん伝来の秘密を中国大陸に探ろうというツアーを、さぬきうどん研究会(会長・真部正敏香大農学部教授)が計画している。会員を中心に15人ほどの訪中団を編成、この8月、うどんのルーツを求め西安、太原などを訪ねる。このツアーは、同研究会2年越しの念願。昨年は、計画が煮詰まりながら天安門事件以降の情勢で断念した経緯がある。

 計画によると、訪中団は真部会長を団長に製麺、製粉の業界関係者やうどん研究家ら10人から15人の編成。8月17日大阪をたち、30日までの14日間、上海、北京、太原、西安の4都市を巡る。主な目的地は、うどんの有力な古里とみられる麺の本場、太原と西安。両市では中国社会科学院の教授で歴史学会の理事も務める麺の権威から、小麦栽培や石うすの歴史、麺の伝播コースなどについて話を聞く機会も設定されており、真部会長は「伝来の経緯を知る新しい手がかりがつかめるかもしれない」と期待をつないでいる。

 この他、麺打ちの名人から技の奥義を聞いたり、讃岐うどんとの味比べをしたりの交流会も予定されており、全体としては麺を仲立ちにした文化交流の旅にしたい考えだ。うどんは、大和朝廷時代(8世紀)中国から伝来したとされているが、どういうルートで、誰が伝えたかについては定説がない。県下では「空海が唐から持ち帰った」という説が、空海への畏敬の念も手伝って広く信じられている。

 続いて、帰国後に副知事に報告をしたという記事。

(9月5日)

お土産は”麺棒外交” さぬきうどん研訪中団が帰国報告 「国際麺シンポ」など提案

 麺の古里・中国で”麺棒外交”を繰り広げたさぬきうどん研究会(会長・真部正敏香大農学部教授)の友好訪中団が4日、荻野副知事に帰国報告を行った。中国側にとっても麺を通した交流は初のケースだけに、麺の国際シンポ開催や友好縁組など数多くの提案がなされたという。訪中団は、真部会長を団長とする14人。先月17日から13日間、北京、山西省の省都・太原、空海にゆかりの深い陜西省の省都・西安などを歴訪。持参した小麦粉でさぬきうどんを打って食べてもらった。中国側からも刀削麺、刀抜麺など数々の打ち方が披露され、さながら日中の麺の競演。うどん談義にも花が咲いた。

 太原市で行った学術交流では、中国明史学会理事の張正明氏が「うどんを日本へ伝えたのは空海より古い時代ではないのか」との考えを披露。西安市の青龍寺空海記念碑前では、献麺式も行った。真部会長によると「太原、西安両市とも麺を通した交流に高い関心を示しており、期待に応えるためにも、できることから実現したい」と”麺棒外交”進展に意欲を示している。

 現地で数々の交流行事が行われたようで、ここに“麺棒外交”と形容されているように、「讃岐うどんのルーツを探る」というより「麺を通じた日中交流の旅」だったようです。そして、真部先生が訪中紀行文を四国新聞に連載されていましたが、その中に「讃岐うどんのルーツ」に関して、こんな話が報告されていました。

(10月11日)

連載「麺棒外交」うどんのルーツを訪ねて(さぬきうどん研究会会長・真部正敏)
麺食文化と空海 広めた功績は大 可能性が薄い伝来者第1号

 中国の数ある古都の一つ、太原市は山西省の省都。人口は約250万人。北京から西へプロペラ機で1時間。ここは石炭をはじめ地下資源を生かした重工業の町として知られているところだが、実は最も有力な麺発祥地の一つでもある。8月20日から4日間、太原に滞在したが、交流が深まるにつれて中国の麺文化に対するわれわれの認識の甘さが浮き彫りになった。

 21日午前は、主として麺の学術交流を行った。中国明史学会理事、山西省社会科学院副研究員・張正明氏は「中国のうどんが日本に伝来した考察」と題して講演し、「①うどんの発祥地中国 ②うどんの日本への伝来」について多くの歴史的資料に基づき話された。団員の小島高明氏(麺類研究家)は「麺食文化東漸(ぜん)の考察」と題して、麺が日本に伝来してから今日に至る発展経緯について述べられた。両氏の歴史観に見解の差はあまり見られず、空海が麺を初めて日本に伝えた可能性の極めて低いことが指摘された。その理由の一つに、空海が長安に学んだ当時の麺は日本で定説になっている唐菓子(からくだもの)ではなく、それよりかなり進んだ切り麺に達していたことが挙げられた。しかし、初めての伝来者ではないにせよ、空海が日本に麺食文化を広めた功績は大きく、疑う余地のないことが両氏によって述べられた。…(以下略)

 これによると、

①空海が訪中した時には、すでに中国の“うどん”は「かなり進んだ切り麺」の形になっていた。
②従って、空海が中国から持って帰った「唐菓子」は讃岐うどんのルーツとは思えず、「空海が麺を初めて日本に伝えた」という可能性は極めて低い。

とのことですが、記事の最後は「空海が日本に麺食文化を広めた功績は疑う余地なく大きい」という、玉虫色のまとめになっていました。まあいずれにしろ、おなじみの「讃岐人は何かよくわからないことがあると、空海のせいにしておくと安心する」ということで(笑)。

その他のうどん関連の催し

 続いて、その他のうどん関連の催しです。

(3月15日)

讃岐の味伝えます 高松市老人ク連婦人部、手打ちうどん挑戦

 伝統の味を再確認しようと高松市老人クラブ連合会婦人部(小夫和子部長)が14日、同市松島町の市民文化センターに市内35地区の同部代表者を集めて「讃岐手打ちうどんの講習会」を開いた。同婦人部は3年前に発足。「時代や社会と共存しよう」をテーマに、年8回の研修会を開いて老人の介護問題などを学習している。今回の講習会は、核家族化現象が進む中、伝統の「うどん作り」によって絶えがちな世代間や地域間の交流を活発化しようというのが狙い。さぬき麺業の香川政義さんを講師に迎えて基本製法を学んだ。

 参加者は年輩の婦人だけに、各家庭独自の製造技術を持っている人ばかり。しかし、本当の讃岐うどんの作り方を知らない人が多く、同市川島東町の糸目フミさん(74)は「打ち込み汁はよく作るが、本当のうどんを作ったのは初めて。こんなに力がいるとは」と汗をふきながら悪戦苦闘。他の参加者も「難しい」を連発したが、さすが讃岐人。最後には、プロ顔負けの出来栄えになり、みんなで舌鼓を打った。

 「それぞれ家庭ごとに独自のうどんの作り方を持っている年配のご婦人の多くが、本当の讃岐うどんの作り方を知らない」という記述があります。もし、全県的に家庭で作られていたうどんがそういう状況だったとすれば、讃岐うどんは「店ごとのバリエーション」以上に「家庭ごとのバリエーション」が無数にあったかもしれません。すると、そこのところ(家庭の讃岐うどん)を徹底的に発掘すれば、また新しい讃岐うどんのプロモーションに発展するかもしれませんが、どうでしょう。

(6月10日)

綾南で小麦シンポ 活発に討論、試食会も行う(さぬきうどん研究会)

 さぬきうどん研究会(真部正敏会長)の第19回例会「小麦シンポジウム」が9日、綾南町役場で開かれ、会員など80人が参加した。シンポのテーマは「県産小麦の栽培とうどんの加工利用」で、「国内産小麦はどのように育成し、普及されているか」と題して伊藤昌光四国農試開発部畑作育種研究室室長、「県内の小麦栽培の現状と問題」と題して山下勝男県農林部農業改良課主幹、「内麦粉と外麦粉のうどんはどのように違うか」と題して同研究会会長の真部香大農学部教授がそれぞれ専門的なデータやスライドなどを使って講演した。…(中略)…この後、綾南町さぬきうどん研究会(十河利夫会長)が県内産の「農林26号」、オーストラリア産「白椿」の小麦粉、そして両方混ぜ合わせた計3種類のうどんを作り、参加者が食べ比べた。…(以下略)

 
 公演に加えて県産小麦とオーストラリア産小麦の食べ比べというアトラクションも行われています。テーマが「県産小麦の栽培とうどんの加工利用」なので「県産小麦推奨」が目的だと思われますが、食べ比べの感想は正直なところ、どうだったのでしょう。

子供たちの「うどんを使った交流会」が盛んに行われています

 これまでにもたくさん記事で紹介されてきた「うどんを使った交流会」ですが、この年は小学校関連の「うどん交流」の記事がたくさん掲載されていました。

(4月24日)

手打ちうどん実演 子供会が米研修生と交歓

 坂出市松山地区で22日夕、「第1回国際交流の集い」が開かれ、地区の子供たちが主役となって外国人研修生らと多彩な交流行事を繰り広げた。松山校区子供会が国際人を目指そうと、同子供会育成連絡協議会の協力を得て開いた手作りの集い。米国ミシガン州ランシング・カレッジ生9人と地区の約250人が参加してこの日午後4時半から松山小体育館で開幕式典が行われ…(中略)…続いて会場を厳島神社や松山公民館に移し、豊作祈願、金時イモの植え付け、手打ちうどんの実演、パーティーなどを開き、交流を深め合った。

(5月23日)

我が子の学習ぶり体験 ドジョウ汁で保護者も交流(陶小と香大付属養護学校)

 心身障害者理解推進校として「心をたがやす交流教育」に取り組んでいる綾南町、陶小学校の保護者ら15人がこのほど両校児童らが交流している坂出市府中町、香大付属養護学校を訪ね、親同士が交歓した。同校は昨年、研究指定校に選ばれ、4年生を中心に交流計画が立てられ、双方が訪問し合って自由遊びやイモ掘りなど通じて交流のきずなを深めている。…(中略)…うどん90玉、ドジョウ6キロで大鍋2杯のドジョウ汁を作り、両校の保護者と教師50人が和やかな歓談。親の立場を確認し合った。

(7月30日)

大鍋囲みうどん作り 料理教室で親子ら交流(香西小)

 夏休み親子料理教室がこのほど高松市の香西小学校で行われ、約70人の児童、父母たちが打ち込みうどんづくりに挑戦しました。同小PTA学級部が主催したもので、運動場に3基の大鍋を持ち込み、学校栄養士の山本知子さんの指導で午前9時からうどん作り、その後、季節の野菜などを入れ、昼前には100人分のうどんを仕上げました。参加者たちは先生も交え、猛暑をものともせず熱いできたての打ち込みうどんにフーフー、舌鼓を打ちながら和やかな交流の輪が広がっていました。

(2月25日)

3世代が協力、うどんづくり(城乾小)

 丸亀市城乾小学校の6年生70人は24日、うどんづくりに挑戦、昼食には手づくりのうどんをおいしそうにすすっていた。「三世代交流ふれあい学級」の一環として、校区内の老人会のお年寄り10人、PTAから25人の父母が、うどんづくりに参加した。チビっ子らは元PTA役員の指導を受けて、苦労しながら150人分のうどんをつくり上げた。

(12月12日)

うどん作りで国際交流 8カ国のチビっ子集う(城北小)

 国際こども交流会がこのほど丸亀市の城北小学校で開かれ、世界8カ国の児童と城北小の児童らが、さぬき名物の打ち込みうどんを作って親善を深めた。交流会には、香川大学に留学中のアメリカ、ブラジル、ガーナ、ドイツ、台湾などの家族と城北小の30組の母子らが参加した。同校の児童らで編成している北新太鼓チームの披露があったあと、参加者全員で打ち込みうどんづくりに挑戦。足でこねたり、麺棒で伸ばしたりの作業を力を合わせてこなし作りあげた。…(以下略)

 ここで新聞に紹介されていたのは、高松市の香西小学校、坂出市の松山小学校、丸亀市の城乾小学校と城北小学校、綾南町の陶小学校の5校。いずれも主役はもちろん小学生ですが、学校とPTAと近隣の老人会や自治会等が協力しなければなかなか実現するものではありませんから、当時はそのあたりの相互コミュニケーションが今以上に生き生きしていたのかもしれません。

綾歌のボランティアグループ「あおぞら会」の“うどん行脚”

 これまで何度か「うどん慰問」等で登場した綾歌町のボランティアグループ「あおぞら会」の“うどん行脚”が、改めて紹介されていました。

(2月20日)

うどんを通じふれあいの輪 綾歌の「あおぞら会」 会員9人奉仕の汗、全国を”接待行脚”

 綾歌町には、うどんづくりを通じ、福祉とふれあいの輪を広げているボランティアグループ「あおぞら会」があります。4年前に「社会に何かご恩返しがしたい」という人たちが集まって作られたもので、会員は熊谷勝会長ら男女9人、年齢は56歳から76歳の農家の人たちです。

 月に2回は県内各地はもとより県外にもマイクロバスに材料や燃料を積んで”うどん行脚”に出かけます。費用は全部自分たちで出し合っています。1回にうどん400玉は作るということで、各地で奉仕の汗を流しています。交通安全キャンペーンでドライバーへの接待、児童や園児との実習を通じてのふれあい、各地老人ホームや養護施設の慰問、町内各種行事での接待などと活躍しています。6日には善通寺の老人ホーム五岳荘を慰問して喜ばれました。綾歌町と縁の深い鳥取県の香取へは毎年、11月11日の入植記念日に出向き、うどんを通して三世の若妻たちとの交流を深めています。

 マイクロバスに1回に400玉ぐらい作れるほどのうどん作りの道具や材料を一式積み込んで、月に2回ペースで県内外に“うどん行脚”に出かけるという、讃岐うどん界の歴史に名を残すべきボランティアグループです。活動レポートが残っていれば、1冊の本ができそうです。

お遍路さんへのうどん接待

 「お遍路さんへのうどん接待」の記事は、これまで何度か新聞に出たことのある山本町の大興寺と小豆島の多聞寺の2本が載っていました。

(3月30日)

一服どうぞ、お遍路さん 地元・東組の青年、婦人部、もちなど配り接待(多聞寺)

 人情豊かなお遍路さんへの接待が29日、土庄町肥土山の小豆島霊場四十六番札所・多聞寺で行われた。地元・東組の青年部「あづま会」(8人)がもち、同婦人部(30人)がうどんをふるまったもので、温かいもてなしにお遍路さんたちは大喜び。この日、あづま会や婦人部の人たちは早朝に同寺に集合。あづま会員たちは木臼を庭にすえ、50キロのモチ米でもちをつき、ヨモギもちと白もちを1個ずつお遍路さんにプレゼント。婦人部の人たちもうどんを作り、次々訪れるお遍路さんに接待した。夕方までに約500人のお遍路さんがやってきたが、できたてのごちそうにニコニコ顔で舌鼓を打っていた。同寺のもちの接待は初めて。6地区が順番で行ううどんの接待は20数年前から続いている。

(4月17日)

お遍路さんにうどん接待(大興寺)

 八十八カ寺巡りのお遍路さんに安息のひと時をと、山本町辻の四国霊場第六十七番札所小松尾寺大興寺で15日、春恒例の”うどん接待”が行われた。同町河内中、上両地区の婦人会有志が費用を持ち寄り、戦後途絶えていた風習を復活させ、毎年4月の第3日曜日に行っている恒例行事。この日も斎藤マサさん(79)ら約30人が早朝から600人分のうどん玉を用意して参拝者を待った。…(以下略)

うどんによる慰問

 警察署と老人ホームへのうどん慰問」の記事は5本ありました。

(1月18日)…多度津中学校の生徒63人が、特別養護老人ホーム「桃陵園」を、手作りうどん200玉で慰問。
(7月24日)…綾南ボランティア協議会が、綾南署の署員を、ドジョウ汁(うどん10キロ、体長20センチの大ドジョウ4キロ)で慰問。
(11月23日)…豊中中学校の生徒有志が、養護老人ホーム七宝荘のお年寄りを、手打ちうどん300玉で慰問。
(12月13日)…観音寺交通安全協会婦人部が、観音寺署の署員を、うどん100玉とおにぎり200個で慰問。
(12月25日)…高松市交通安全父母の会が、高松南署の150人の署員を、ドジョウうどん(ドジョウ10キロ、うどん300玉)で慰問。

広告本数は高止まり、オープン広告は激減

 うどん関連の広告は244本で、前年(252本)よりやや少なかったものの、まだまだ高止まりです。以前にも触れましたが、うどん店の広告はほとんどが「新聞社や広告代理店に頼まれて小さい枠や名前だけを出す(大体1回数千円とか数万円程度)」といういわゆる「協賛広告」なので、「うどん店が積極的に新聞広告を打って出ている」というより「頼まれたから出している」というところが多く、従って広告本数の多寡は広告営業マンの頑張りに左右される感が無きにしも非ずですが(笑)、それでもまあ「頼まれたら出せる」という店の数が高止まりにあるということでしょうか。

 しかし、毎年10本前後あったオープン広告は「さぬき麺業」と「川田うどん」だけでした。これは何かの予兆なのか、たまたまなのか、そのあたりは翌年以降の結果を見て判断しましょう。

<県内うどん店>
【高松市】

「かな泉」(高松市大工町他)……… 34本
「さぬき麺業」(高松市松並町他)… 24本 3月24日三条店オープン 4月28日ピコ丸亀店オープン
「川福」(高松市ライオン通)…………6本
「大島製麺」(高松市太田上町)………4本
「さぬきうどん」(高松市栗林町他)…3本
「丸川製麺」(高松市中新町)…………3本
「久保製麺」(高松市番町)……………2本
「源芳」(高松市番町)…………………2本
「こんぴらうどん」(高松市番町)……2本
「番丁」(高松市番町他)………………2本
「松下製麺所」(高松市中野町)………2本
「すゑひろ」(高松市中野町)…………2本
「秀」(高松市八坂町)…………………2本
「田中」(高松市木太町)………………2本
「川島ジャンボうどん」(三谷町)……2本
「花ざかり」(高松市十川東町)………2本
「ばら本陣」(高松市川島本町)………2本
「豆蔵茶屋」(高松市寿町)……………1本
「井筒製麺所」(高松市西の丸町)……1本
「一代」(高松市西の丸町)……………1本
「あわじ屋」(高松市丸の内)…………1本
「上原製麺所」(高松市栗林町)………1本
「さか枝」(高松市番町)………………1本
「一休庵」(高松市番町)………………1本
「三福」(高松市兵庫町)………………1本
「めん」(高松市中央町)………………1本
「誠」(高松市亀岡町)…………………1本
「やまよし」(高松市扇町)……………1本
「屋島麵業」(高松市高松町)…………1本
「善や」(高松市新田町)………………1本
「元」(高松市一宮町)…………………1本
「なかにし」(高松市鹿角町)…………1本
「桃太郎館」(高松市鬼無町)…………1本
「北山うどん」(高松市鬼無町)………1本
「久保」(高松市川島東町)……………1本
「べつばら」(高松市三条町)…………1本
「大圓」(高松市今里町)………………1本
「げん禄」(高松市檀紙町)……………1本
「かながしら」(高松市六条町)………1本
「びっくりうどん」(高松市伏石町)…1本

【東讃】

「寒川」(三木町)………………………3本
「八十八庵」(長尾町)…………………2本
「池田家」(長尾町)……………………2本
「雲海」(志度町)………………………2本
「六車」(白鳥町)………………………1本
「権平うどん」(白鳥町)………………1本
「亀城庵」(志度町)……………………1本
「しど路」(志度町)……………………1本
「野田屋」(長尾町)……………………1本
「いわせ」(長尾町)……………………1本
「つゞみ屋」(牟礼町)…………………1本
「味路」(庵治町)………………………1本
「かみなりうどん」(三木町)…………1本
「十河製麺」(三木町)…………………1本
「山進」(香川町)………………………1本
「川田うどん」(香南町)………………1本 8月8日オープン

【中讃】

「畑田」(綾南町)………………………3本
「小縣家」(満濃町)……………………2本
「サヌキ食品」(綾歌町)………………2本
「金山奉行」(坂出市)…………………2本
「こんぴらうどん」(琴平町)…………2本
「日の出製麺」(坂出市富士見町)……1本
「町川」(坂出市青海町)………………1本
「まごころ」(丸亀市蓬莱町)…………1本
「丸亀」(丸亀市塩屋町)………………1本
「たかや」(多度津町)…………………1本
「カガワ食品」(善通寺市文京町)……1本
「むさし」(琴平町)……………………1本

【西讃】

「将八」(観音寺市)……………………1本
「うどん太郎」(観音寺市植田町)……1本

<県外うどん店>

「玉藻」(東京都新橋)…………………1本
「めん坊フーズ」(京都市上京区)……1本
「大阪川福」(大阪市南区)……………1本
「松野たらいうどん」(徳島県土成町)1本

<県内製麺会社>

「サンヨーフーズ」(坂出市西庄町)… 6本
「石丸製麺」(香南町)…………………6本
「フジフーヅ」(長尾町)………………5本
「日糧」(詫間町)………………………4本
「藤井製麺」(三木町)…………………3本
「国方製麺所」(高松市多肥上町)……1本
「わたや製麺所」(高松市観光通)……1本
「川田商店製麺部」(香南町)…………1本
「佐藤製麺」(塩江町)…………………1本
「大喜多製粉所」(宇多津町)…………1本
「宮武讃岐製麺所」(丸亀市蓬莱町)…1本
「讃岐うどん舎」(善通寺市吉原町)…1本
「大西麵業」(大野原町)………………1本
「合田平三商店」(豊浜町)……………1本

<県内製粉会社>

「日清製粉坂出工場」(坂出市入船町)2本
「吉原食糧」(坂出市青葉町)…………2本
「日讃製粉」(多度津町)………………1本
「木下製粉」(坂出市高屋町)…………1本
「豊国製粉所」(観音寺市粟井町)……1本
「安田製粉」(内海町)…………………1本

<その他うどん業界>

「加ト吉」(観音寺市観音寺町)…… 21本
「さぬき麺機」(高瀬町)………………4本
「香川県生麺事業協同組合」……………2本
「ピギー食品」(詫間町)………………1本
「ドカベンカンパニー」(高松市内町)1本

●「川田うどん」(香南町)… 8月8日オープン

H2年広告・川田うどんオープン

(平成3年に続く)

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