さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.52 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る平成の讃岐うどん<平成6年(1994)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

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  • vol: 52
  • 2022.06.30

「平成の大渇水」と「讃岐うどん巡りブーム」の拡大期

 平成6年の香川最大のニュースは「渇水」。早明浦ダムの貯水率が0%になって、ダム湖の底から沈んでいた大川村役場の建物が現れて全国ネットのニュースになったという、あの渇水です。そのせいで高松まつりをはじめとする県下の祭りやイベントは軒並み中止になり、うどん店をはじめとする飲食店や宿泊施設等の中にも断水や水圧制限で休業を余儀なくされたところがたくさん出てきました。

 そんな渇水騒動に見舞われた讃岐うどん業界ですが、渇水騒ぎ以外には新聞に取り上げられるような大きな動きは全く見当たりませんでした。また、「行政・組合・さぬきうどん研究会」のいわゆる“権威筋”についても、特に新しい取り組みは窺えませんでした。そうした中、平成元年(1989)の讃岐うどん“針の穴場”探訪記「ゲリラうどん通ごっこ」の連載開始に端を発する「讃岐うどん巡りブーム」の“胎動”は、平成5年(1993)の『恐るべきさぬきうどん』の第一巻発行を経て6年目を迎え、この年からいよいよテレビを巻き込んだ“拡大期”を迎えることになります。

 では、新聞記事の紹介に先立って、平成元年からここまでの「讃岐うどん巡りブーム」の流れを簡単に整理しておきましょう。

「ゲリラうどん通ごっこ」~『恐るべきさぬきうどん』が火を付け、山陽放送の『VOICE21』が油を注ぐ(笑)

 まず、平成元年(1989)~平成4年(1992)頃、「ゲリラうどん通ごっこ」の読者を中心とする香川県内の若者が、同連載に掲載された「穴場うどん店」を巡り始めました。併せて、彼らが新たな穴場うどん店情報を『タウン情報かがわ』に寄せ始め、「穴場店発掘」の活動が活発になってきます。そして平成5年(1993)に「ゲリラうどん通ごっこ」を加筆再編した『恐るべきさぬきうどん』が発行され、それを機に、主に県外のテレビや雑誌が「穴場讃岐うどん店」に注目し始めました。

 この間の全国ネットメディアの動きとしては、

<平成4年(1992)>
●柴田書店『そば・うどん』が、麺通団団長の寄稿を掲載。
●JTB『旅ノート』が、麺通団団長の寄稿を掲載。
●テレビ東京のグルメ紀行番組『ぐるっと日本三度笠』で、麺通団が武田鉄矢さんと讃岐うどん店を巡る。

<平成5年(1993)>
●JAL機内誌『ウインズ』が、穴場讃岐うどん店と麺通団を紹介。
●日テレのグルメ紀行特番で、麺通団が吉村明宏さんと穴場うどん店を巡る。

…等があり、その内容はこれまでの「讃岐うどんの歴史・文化・技術・名店等を中心とした紹介」とは明らかに視点の違う、「讃岐うどんのおもしろさ、穴場店紹介」という方向性の情報発信が始まりました。そして平成6年(1994)、いよいよテレビが「『恐るべきさぬきうどん』の世界」を取り上げ始めます。

 最初に「讃岐うどんの穴場店のおもしろさ」に“乗って”きたのは、地元香川の西日本放送でも瀬戸内海放送でもNHK高松でもなく、岡山の山陽放送でした。まず2月に、山陽放送の自社制作番組『VOICE21』が、『月刊タウン情報かがわ』の「ゲリラうどん通ごっこ」の編集現場を密着取材したドキュメント番組『タウン誌その世界~おいらは街の情報マン』を放送。この番組を制作したのが、後に「麺通団岡山支部長」となる石原ディレクターで、ここから、山陽放送と『恐るべきさぬきうどん』とのタイアッププロモーションが始まりました。

 続いて3月に『恐るべきさぬきうどん』第2巻が発刊。これに合わせて4月に山陽放送の『VOICE21』が讃岐うどんの穴場を集めた1時間の特番、その名も『タウン誌厳選! 恐るべきさぬきうどん』を放送しました。番組で紹介されたうどん店は「なかむら(初代大将出演)、穴吹、池内、中西、がもう、鶴丸、彦江、宮武、山越、田村、宮川、兼平屋、谷川米穀店、三島、讃岐家、中浦…」等々、これまで新聞広告を賑わせてきた数々の有名店とは全く様相の違う“恐るべき”テイストの穴場店ばかりで、これが視聴率18.2%を記録。「週間教養実用番組部門」で『ズームイン朝』や『クローズアップ現代』『サンデーモーニング』等々を抑えて堂々の1位に輝き、ここから岡山・香川エリアで「恐るべきさぬきうどん」テイストの讃岐うどん穴場巡りレジャーが一気に広がり始めることになります。

 この後、「讃岐うどん巡りブーム」が最初のピークを迎えた平成12年(2000)頃までに、『VOICE21』は讃岐うどんの穴場店巡り特番を20本近く放送し、ブーム拡大に大きな影響を及ぼしました。ちなみにその間、地元香川の放送局は西日本放送も瀬戸内海放送もNHK高松も「穴場讃岐うどん巡り」に対してはほとんど動きを見せておらず、「行政、組合、さぬきうどん研究会」のいわゆる“讃岐うどんの権威筋”も「製麺所型讃岐うどん店の穴場巡り」という視点の動きは見られませんでした。つまり、今日の「讃岐うどん巡りブーム」は、「ゲリラうどん通ごっこ」~『恐るべきさぬきうどん』が火を付け、山陽放送の『VOICE21』が油を注いで(笑)燃え上がったわけです。

 では、そうした状況を踏まえて、平成6年の新聞に載っていた讃岐うどん関連の記事を見ていきましょう。

渇水騒動下の讃岐うどん界

 まずは、「渇水」が県の経済界に及ぼした影響についての記事から。

(7月26日)

死活問題の業種も 県が渇水影響調査 うどん店、ホテル、理容…対応策に四苦八苦

 県商工労働部の調べでは、水不足から高松市を中心にうどん店の営業中止、公衆浴場の営業時間短縮、一部ホテルの予約お断りなどの影響が生じ、深刻化が懸念されている。同部が22日現在で、地場産業を中心に組合などの協力を得て合計41業種を調査した。それによれば、約4分の3の業種は「今のところは影響ない」「水をあまり使わず問題ない」「井戸水で対応できる」と回答している。しかし、うどんやかまぼこ、生コン、公衆浴場、美容、ホテルなどは「予断を許さない」「営業時間短縮」などと回答するなど、水使用量によって対照的。

 県生麺事業協同組合では「高松、香川町合わせ約80軒の組合員のうち、高松市内の7軒が営業中止している」。県生コン工業組合でも「大型貯水槽で急場をしのいでいるが、大多数が水道水利用のため予断を許さない」と先行き不安を訴えている。県理容業環境衛生同業組合では「断水が始まった際は一部で休業も出たが、今は営業している。しかし、客は減っている」。県美容業環境衛生同業組合でも「一部で時間短縮している。売り上げは減少」といずれも対応苦慮を回答。この他、四国造船事業協同組合のように「船の洗浄には水道水を使っていたが、現在は海水と併用」というところや、県石油商業組合のように「ガソリンスタンドでの洗車休止などのサービス不足から売上減少」というところもある。

 この年の大渇水は、6月から雨不足のせいで早明浦ダムの水位が下がり始めたあたりから始まります。その後、香川用水の取水制限が始まり、7月頃から高松市をはじめとする都市部を中心に給水制限や時間限定の断水が始まり、8月中旬には早明浦ダムの貯水率が0%になって、前述の「湖底から旧大川村役場の建物が現れる」というニュースが全国で報道されました。

 では、その間の関連記事をいくつか拾ってみます。

(7月27日)

渇水ドキュメント メニューにうどん復活

高松市役所食堂に「うどんあります」の張り紙。仕入れを中止していた製麺業者から100玉が届き、10日ぶりのメニュー復活。

 高松市役所の食堂では、「うどん」のメニューが10日間中止されていたそうです。いろんな飲食店の中でも「うどん」は製造工程で(特にゆで、水締めの工程で)かなり多くの水を使うため、水不足の影響が特に大きい業界でした。

(8月2日)

渇水で「高松まつり」中止 振興会が決定 昭和48年以来2度目

 昭和48年の高松まつり中止は、早明浦ダムができる前の「高松砂漠」と呼ばれた大渇水の時。当時の高松市は最も厳しい時には「1日24時間のうち、21時間断水、水道から水が出るのは1日3時間だけ」というえらいことになっていたそうです。ちなみに、高松まつりが中止になったのは昭和48年(1973)、平成6年(1994)、令和2年(2020)、令和3年(2021)の4回で、原因は「渇水、渇水、コロナ、コロナ」です。

(8月16日)

水ピンチ ’94香川 市民ら1ヶ月ぶり笑顔 高松の給水制限緩和 うどん店、ホテル、レストラン、平常営業へホッと

 1日5時間の時間給水にあえいでいた高松市民に15日、待ちかねていた知らせが届いた。7月14日以来、ちょうど1カ月ぶりとなる16日からの時間給水の解除。生活用水の確保のため炎天下を給水所に走る苦労も、飲食店の営業中止を心配する必要もなくなる。10時間の夜間断水は続くが、不自由な生活を強いられてきた市民は、ようやく訪れる”普通の生活”に安どの表情を浮かべていた。

 給水制限の緩和に伴い、市内の36小学校に設置されていた応急給水所と6ケ所の給水基地も16日から一時休止に。酷暑の中、長時間にわたる給水活動から開放される市職員は「これでやっと本来の仕事ができる」と、ホッとした様子。市庁舎の冷房も同日から全面再開する。7月20日からストップし、うだるような暑さに耐えてきた男性職員(43)らは「全面再開でさらに能率も上がる。非常にうれしい」と顔をほころばせた。

 うれしいニュースに市民の間にも笑顔が広がった。郷東町の○○○○さん(60)は「洗濯などで朝使う水が多かった。これで洗濯もしっかりできます」と、一家の家事をになう主婦として大喜び。一方、松島町のOL○○○○さん(22)は「友達と食事をしても、給水時間の午後9時までに帰らなければならない。もっと、断水時間を遅くしてほしい」との要望もあった。

 時間給水以来、休業していた番町のうどん店店主(60)は「お客さんから早く再開してほしいとの声が相次いでいた。準備が整い次第、すぐにでも開店したい」。渇水の影響をもろにかぶり水の確保に苦労してきただけに、給水制限が緩和されたことで、一様にホッとした表情。水をよく使うメニューを縮小するなど、あの手この手で水確保などに苦労してきた高松市内のレストラン経営者は、「紙コップ使用などで経費もかかり、客足も遠のいたため昨年の売上とは比較にならない状態。これからは客足も回復するのでは」と期待していた。

 市内中央町の京王プラザホテル高松などは、これまで外していたバスタブの栓を16日に再び取り付け、お湯を貯めることができるようにするという。一方、県立中央病院では、時間給水入り以来続けていた使い捨て食器の使用をやめ、16日夕食から従来通りの食器を使う他、週2回だったシャワーの使用も、毎日使えるようにする。

 “喜びの声”がたくさん紹介されていますが、「1日5時間の時間給水」が解除されただけで、「10時間の夜間断水は続くが…」とあるように、まだ1日14時間しか水が出ないという状況です。渇水の日常生活への影響がいくつも窺えますが、その後、早明浦ダムに水が十分に貯まって高松市の給水制限が解除されたのは11月中旬ですから、7月から夏を挟んで4カ月半にわたって、香川は空前の渇水被害を被っていたことになります。

『恐るべきさぬきうどん』第2巻が発刊される

 3月10日に『恐るべきさぬきうどん』の第2巻が発刊され、四国新聞の「出版案内」のコーナーで紹介されました。

(3月27日)

四国出版ロータリー/ユニーク15軒の食べ歩き探訪記『恐るべきさぬきうどん』第2巻

 「こらどいや! うまいぞ! 抜群のコシに抜群のツヤ、舌ざわり! こんな夜中に、こんな飲み屋街に、こんなうどんを出す店があったのか!」。うどんの食べ歩きを楽しみとするグループ「麺通団」による、”針の穴場”うどん店をリポートした『恐るべきさぬきうどん』第2巻(B6判、1100円)がホットカプセルから発行された。

 さぬきうどんを大別すると「一般うどん店」「大衆セルフ」「製麺所型」の3つになるという。これに中間型が入り混じって県内には約1000店。「うどんがうまい店、もしくは守るべき文化やポリシーを持った店しか紹介しない」のが麺通団のモットー。客が来て初めて店があり、店があって讃岐の名物「うどん」なのであると確信する。

 うどんの打ちたてがうまいのは常識。時間が経つにつれ味が落ちていく。だから民家風、納屋風、製麺所風の店にこだわる。郊外にある知られざる店はもちろん、街中の穴場も紹介。ギャグ満載で麺通団の珍道中をつづっている。知っている店は読んで納得、知らない店なら一度は「行ってみたい」気にさせられる。15軒の食べ歩き探訪記と4編のうどんコラムを掲載。全店のメニュー一覧はあるが、住所・電話番号・詳しい地図はない。わずかな情報を頼りに、読者にも「うどん店を探して発見する」という喜びを味わってもらいたいからだそう。

 出版元であり執筆者の筆者が取材を受けたのですが、ちょっと意訳されて(笑)紹介されているものの、「ギャグ満載の珍道中」とか「読者に発見する喜びを味わってもらいたいため詳しい地図は載せていない」といった“恐るべきテイスト”の趣旨はちゃんと捉えられています。「一般うどん店」「大衆セルフ」「製麺所型」の分類は麺通団が始めたことも書いてくれていますし(笑)。ただし、「ゲリラうどん通ごっこ」以来、すでに県内の若者を中心に「怪しい製麺所型穴場うどん店巡り」が動き始めていることには触れられていませんので、新聞社ではまだ「おもしろいうどんの本が出た」という認識だったのだと思います。

高松と丸亀の県下二大「うどん早食い大会」は例年通り開催

 続いて、行政や組合が絡んだ讃岐うどん関連イベントの概要をまとめておきます。まず、県下二大「うどん早食い大会」となった、丸亀お城まつりの「第11回さぬきうどん早ぐい競争日本一決定戦」と、高松まつりの「さぬきうどん早ぐい選手権大会」は、例年通り開催されました。

H6広告・お城まつり・うどん早食い

H6広告・高松まつり・うどん早食い

 丸亀お城まつりの「さぬきうどん早ぐい競争日本一決定戦」は11回目。高松まつりの「さぬきうどん早ぐい選手権大会」には回数が書かれていませんが、昭和63年に第1回が始まったので(「昭和63年」参照)この年は第7回。県下の「うどん早食い大会」は、丸亀お城まつりの方が4年早く始まりました。ちなみに、お城まつりの方は相変わらず「日本一決定戦」という大きく出たタイトルが付いていますが、高松まつりの方も第1回の時には「全日本さぬきうどん早食い選手権大会」という壮大なタイトルが付けられていました(笑)。

ドジョウ汁(うどん)は、飯山の「どぜう汁大会」と長尾の「どじょ輪ピック」が二大大会の様相

 続いて、ドジョウ汁(うどん)の恒例イベント2本も例年通り開催されました。まずは、“先輩格”の飯山「おじょもまつり」で行われている「どぜう汁大会」の案内記事から。

(11月3日)

5日から飯山でおじょもまつり メーンは「どぜう汁」

 飯山町名物「第9回おじょもまつり」(町地域振興イベント事業実行委員会など主催)が5日から2日間、飯山総合運動公園で開かれる。「ねんりんピック」の関係で夏の開催が秋に延期され、国体のあった昨年に続いて町文化祭(町教委主催)と2度目の同時開催。

 地元民話に登場する巨人・おじょもの名前をとった祭りの初日は、午後1時から体育館サブアリーナで開会式。同1時半からカラオケ発表会があり、同好会の約40人が自慢ののどを披露する。同6時から文化祭の公民館発表会に移り、日舞、詩吟、子供エアロビクス、おじょも太鼓が出演。6日は子ども会活動発表会、映画『紅の豚』上映の他、テニスコート北広場でメーンイベントの「どぜう汁大会」、マグロ解体など農水産物展示即売会を開く。…(以下略)

 昭和61年の第1回大会の時は「どじょう汁日本一大賞」という大きな名前だったのですが、昭和63年の四国新聞では「ドジョウ汁日本一大会」に変わり、この年はシンプルに「どぜう汁大会」に。微妙にテンションが下がってきている感もありますが、後の報告記事によると、この年は15チーム(うち3チームが町外)が出場し、なかなかの大にぎわいだったそうです。前年から長尾の「ドジョウ汁味くらべ大会」が始まりましたが、この年はまだ飯山の「どぜう汁大会」が香川の「ドジョウ汁」イベントのトップを走っていました。

H6広告・おじょもまつり

 続いて、その長尾の「造田ドジョウ汁味くらべ大会」が第2回を迎え、ついに「どじょ輪ピック」という名称になりました。

(11月7日)

ドジョウ汁味比べ 地域の活性化へ新企画打ち出す(長尾)

 ドジョウで地域の活性化を目指す長尾町造田地区の村おこしグループが6日、「どじょう汁味比べ大会」をJR造田駅前広場で開催、地元民ら多くの参加者が郷土の伝統料理に舌鼓を打った。

 同大会は昨年に続いて今年が2回目。「ねんりんピック」開催にちなんで「どじょ輪ピックIN造田」と命名、造田地区の消防、自治会など8グループが参加した。各自、大鍋を持参し、生きのいいドジョウに手打ちうどん、サトイモ、ゴボウ、油あげなどの材料を白みそ仕立てで各チーム独特の味に仕上げた。出来上がったドジョウ汁は参加者に1杯200円で提供、手作りの味が人気を集めた。また、コンテストでは具の組み合わせ、味、見栄えなどを競った。主催した同地区コミニュティー協議会では、「今後、減反地を利用してドジョウの養殖などに力を入れたい」という。

 10月22日から香川で「ねんりんピック(全国健康福祉祭)」が開催されたのですが、長尾町造田の「どじょ輪ピック」はそれをもじって作られたとのこと(現在は合併して「さぬき市」になったので「どじょ輪ピックinさぬき」に名称変更)。「長尾町造田地区の村おこしグループ」が地域活性化を目指して起こしたイベントだそうですが、同地区コミニュティー協議会が「今後、減反地を利用してドジョウの養殖などに力を入れたい」と言うほどの力の入れようです。

「さぬきうどんまつり」と「さぬきうどんラリー」の紹介が見当たらない

 定番行事のように毎年行われていた「さぬきうどんまつり」と「さぬきうどんラリー」ですが、この年は紹介記事も広告も見当たりませんでした。「さぬきうどんラリー」は四国新聞の営業企画でもあるので、開催したのなら載らないはずはない…ということは、終わっちゃったのか、1回休みになったのか、はたまた発掘班が見落としたのか、この年だけでは判断できませんので、次年以降の情報をお待ちください。

 あと、県と県生麺事業協同組合主催の恒例の「さぬきうどん品評会」は第16回が行われ、農林水産大臣賞に坂出の「日の出製麺」が選ばれていました。

さぬきうどん研究会が第2回の「麺棒外交」を実施

 「さぬきうどん研究会」が、4年前に続いて2回目の中国訪問を行うことになりました。

(9月23日)

中国市民と交流へ さぬきうどん研究会のメンバー4人、25日から10日間、再び「麺棒外交」

 食品研究者や麺類製造業者などで作る「さぬきうどん研究会」(会長・真部正敏元香大農学部教授)メンバーらが、25日から10日間の日程で訪中、中国にルーツを持つ麺文化を巡って現地の関係者と交流する。同研究会は4年前にも訪中団を派遣しており、今回が2回目の「麺棒外交」となる。

 平成2年8月の前回の交流では、北京や西安などの都市を2週間にわたって歴訪。麺類の起源などについて現地の研究者らと意見を交わした他、さぬきうどんと現地の麺類の競作、食べ比べや、西安市の空海記念碑前での献麺式なども行った。今回訪中するのは真部会長、麺類研究家の小島高明さんらメンバー4人。前回同様学術交流がメーンで、中国科学院自然科学史研究所で研究者から麺に関する講義を受ける他、真部会長らが日本の麺文化や加工技術について各地で講演。北京の中日友好協会では、香川から持参したうどんをメーンにしたパーティーも行う。同市の一般家庭で家庭料理としての麺打ちを見学するなど、一般市民との交流も今回の目玉。真部会長は「前回は初めてで中国の麺類について十分知ることができなかった。研究の充実とともに、友好交流も深めてきたい」と話している。

 この「麺棒外交」から帰国後、11月に四国新聞が3回にわたって真部先生の活動レポートを掲載していました。それによると、一行は中国の訪問先で講演会や交流会を行い、一般家庭での麺打ち交流を行い、献麺式も行ってきたとのことで、総括として、「西安、太原の麺類はいずれも香りがあり、味がよい」、「太原、西安では製粉、製麺の技術指導を強く望んでいるため、次回はこれらの専門家も同行したい」、「県内のうどん業者には、麺の本場中国で麺打ちの技と料理の味付けなどを見学されることを勧めたい」とまとめられていました。何となく全体に“中国礼賛”的なニュアンスと讃岐うどん界に対する苦言の“ニオイ”が漂っている感じがしましたが、どうなんでしょう(笑)。

「パセリうどん」「サンゴカルシウム入りさぬきうどん」「三色うどん」

 このところ毎年のように、うどんに他の材料を混ぜ込んだ“練り込み系うどん”が出てきていますが、この年も新たに3つ紹介されていました。

(5月7日)

栄養豊かなうどんいかが 特産のパセリ活用 “本物”と違わぬ腰の強さ(JA大内)

 関西シェアの約20%を占める大内町の特産品・パセリを利用した健康食品「パセリうどん」が自然食愛好家らの間でひそかな人気を呼んでいる。パセリうどんは、形が悪く商品にならないパセリを有効活用しようと、JA大内管内のパセリ農家の主婦約120人で組織する「パセリ婦人部」が平成元年に開発した。ビタミンなどの栄養価を損なわないよう冷風乾燥させたパセリを粉末にし、小麦粉と混ぜて練り合わせる。本物のパセリより少し淡い緑色で、腰の強さなどは讃岐うどんと変わらない。パセリ特有のにおいもなく、パセリ嫌いの子供たちでも食べられるという。パセリうどんは、JA大内が一袋(250グラム入り)200円で注文販売。普通のうどんと比べると少し高いが、JA大内営農部は「含まれる栄養価を考えると決して高くないのでは」と話している。

(12月7日)

「サンヨーフーズ」がサンゴカルシウム添加、塩分ゼロのさぬきうどんを開発 健康食に最適

 量販店向けのゆでうどんを製造しているサンヨーフーズ(本社坂出市)は、食塩無添加で「サンゴカルシウム入りさぬきうどん」を開発、販売を始めた。健康食品ブームとはいえ、同社によると食塩を一切加えないうどんの発売は初めて。同社は数年前、塩を入れない「塩なしうどん」と「カルシウム入りうどん」をそれぞれ発売したが、当時は健康への関心が今ほどでなく、あまり売れなかった。今度は健康ブームに乗って2商品をドッキング。さらに、使用するカルシウムを体に吸収しやすいといわれる天然のサンゴカルシウムに変更した。さらに蒸気殺菌によって普通3、4日の賞味期限を7日間に延長することに成功、財団法人日本健康栄養食品協会(JDS)の認定を受けた。…(中略)…新しく開発したうどん玉1個には120cc分の牛乳に相当するカルシウムを含んでいるのが自慢。味は普通のゆでうどんに劣らない。同社は健康食として学校、病院、老人ホームへ売り込む。値段は1玉60円を予定しているが、12月中はサービスとして2袋(2玉)70円で販売中。

(8月24日)

ねんりんピック展示会に出品 特産の健康食いかが 綾南食生活改善推進員、「三色うどん」を試作

 綾南町食生活改善推進員会のメンバー4人がこのほど、陶公民館で10月に開催される「ねんりんピック」に向けて「三色うどん」の試作をしました。三色うどんの材料はモロヘイヤ、ニンジン、スキンミルク。三色のうどんは、ねんりんピック「ふるさとシルバー料理」としてサンメッセ高松で開かれる「心のふれあう家庭料理」展示会に出されるそうです。

 この手の“練り込み系”のうどん商品はなかなかビジネスとしてはヒットしませんが、「話題をまく」という点では、こうやって新聞に載るということで一応成果があるのかもしれません。SNS全盛の時代になって、何かうまく“バズる”ような別の可能性が出てくるといいですね。

あちこちのイベントで「うどんのお接待」

 この年も、うどんを使ったお接待や交流、体験教室、慰問等の記事が30本近く見つかりました。まずはイベントでの「うどん接待」の記事から。

(1月17日)
●「瀬戸大橋駅伝」のスタート地点となった坂出市役所駐車場で、選手や役員にうどん3300食を振る舞う。

(1月26日)
●仲南町の「青空市の会」(会員約80人)が初市を開催し、うどん、おむすび、甘酒などの”お年玉接待”を行った。うどんは大釜を据えて約350玉を作った。

(2月23日)
●牟礼町児童館で行われた「たこ作り大会」で、椿母親クラブのお母さんたちが大鍋で「みそ煮込みうどん」を作り、35人の子供たちに振る舞う。

(3月8日)
●善通寺のオリエンテーリング大会で、善通寺青年会議所のメンバーがうどんを接待。

(7月3日)
●「さぬきうどんの日」の恒例行事で、県生麺事業協同組合高松支部が高松三越前で冷たい「ぶっかけうどん」1000食を振る舞う。

(9月22日)
●綾歌町のボランティアグループ「碧空会(あおぞらかい)」が町内栗熊東の勝福寺前に大釜を据え、交通安全キャンペーンでドライバーらにうどん400食を振る舞う。

(10月22~24日)
●「ねんりんピック」のオープニング会場の香川県総合運動公園で、全国から集まった選手たちに6000食のうどんを振る舞う。
●「ねんりんピック」の善通寺会場で、善通寺市連合婦人会のメンバー30人が選手たちに1000食のうどんを振る舞う。
●「ねんりんピック」のなぎなた会場となった飯山総合運動公園で23日、24日の両日、選手たちに2100食のうどんを振る舞う。

 平成6年の香川で行われた最大のイベント「ねんりんピック」の各会場で、県や市町を挙げて大量のうどんが振る舞われたようです。また、この年は「さぬきうどんまつり/さぬきうどんラリー」の記事が見当たりませんでしたが、「さぬきうどんの日」の恒例行事となっていた高松三越前でのうどんサービスは例年通り行われていました。

県外人との「うどん交流」

 続いて、うどんを使った県外人との交流の記事。

(4月2日)
●大阪府池田市の「こどもふれあい探検隊」の一行45人が小豆島の池田町を訪れ、池田町の小学5、6年生28人とうどん作りなどで交流。

(6月3日)
●源平の古戦場屋島から徳島・奥祖谷まで自転車やバスを乗り継ぎ2泊3日の工程で探訪する「平家落人の道をたどる旅」の一行が、塩江町の「藤沢会」のメンバーと打ち込みうどんを囲みながら交流する。

(9月24日)
●海外技術研修員23人が綾上町の会社役員宅で、ドジョウうどん作りで交流。

(10月24日)
●「ねんりんピック」の高松市実行委員会が、ねんりんピック出場選手や高松市在住の外国人など40人を県総合運動公園に招いて「うどん作り教室」を開催。講師は「さぬき麺業」会長の香川政義さん(73)。

小中学校で行われた「うどん」関連の催し

 続いて、小中学校で行われた「うどん」関連の催しの記事。

(1月19日)
●観音寺市の郷土料理給食献立委員会が、24日から全国一斉に始まる「全国学校給食週間」で「打ち込みうどん」「イワシのかば焼き」などの料理を小中学校の給食メニューに取り入れることを決める。

(3月19日)
●綾南、綾上両町合同の幼児教室「ようこそ、なかよしコアラへ」が綾南町の陶公民館で開かれ、12組26人の親子が参加してうどん作りを行う。

(12月2日)
●観音寺中部中学校1年生250人と母親100人が、「ゆとりの時間」にうどん店経営高橋正一さん(44)を講師に迎えて手打ちうどん作りを行う。

(12月3日)
●綾歌町内のボランティアグループ「碧空会」が、栗熊小5年生34人を対象に打ち込みうどんの講習会を開催。

老人ホームをうどんで慰問

 そして、いつもの老人ホームと警察署への「うどん慰問」の記事もたくさん。

(3月12日)
●多度津中の1、2年生55人が特別養護老人ホーム「桃陵苑」を訪れ、手打ちうどん作りや寸劇などで慰問。

(5月25日)
●まんのう町のボランティアグループ「野菊の会」が特別養護老人ホーム「満濃荘」で250人前の手打ちうどんを作り、うどん交流会を開く。

(8月31日)
●綾歌町内の奉仕グループ「碧空会」のメンバー6人が坂出市の私立老人ホーム「長生園」を慰問、手打ちうどん220玉を打って40人のお年寄りに振る舞う。

(11月20日)
●豊中中学校生徒61人が同町の養護老人ホーム「七宝荘」を訪れ、手打ちうどん330玉を作ってお年寄りを慰問。

警察署をうどんで慰問

(8月2日)
●綾南ボランティア会員15人が綾南署を訪れ、大釜2基で50人分のドジョウうどんを作って慰問。

(8月5日)
●善通寺農協が善通寺署を訪れ、署員50人をドジョウうどんで慰問。

(8月22日)
●小豆島異業種交流会の会員約10人が代表が土庄署を慰問し、ドジョウうどんを振る舞う。

(8月30日)
●綾南安全運転管理者協議会が綾南署を慰問、ドジョウうどん約50人前を作って署員らに振る舞う。

(10月31日)
●志度婦人会が志度署を訪れ、特製肉うどん150玉を署員に差し入れる。

(12月17日)
●丸亀署東部交番地域安全推進協議会の会員10人が丸亀署を慰問し、大鍋2基を据えて打ち込みうどん90人分を振る舞う。

(12月23日)
●高松市亀阜地区交通安全母の会のメンバー36人が高松北署を慰問し、打ち込みうどん300食を振る舞う。

(12月29日)
●高松市交通安全母の会のメンバー13人が高松南署を訪れ、大鍋でドジョウうどん500人分を作って慰問。

 以上、記事になっていたものだけでこれだけありましたが、新聞に載る交流や慰問の顔ぶれは、だんだんおなじみになってきました。これらはほぼ全て「讃岐うどん巡りブーム」には全く関係ない動きではありますが、巷ではこんな「うどん接待、交流、慰問等」があちこちで盛んに行われていたということです。

新聞に載ったいろんな人の「うどん話」

 では、記事の最後に、新聞に載ったいろんな人の「うどん話」を紹介しておきます。

(1月1日)

新春在京県人経営者座談会

(前略)…
ーー讃岐のアイデンティティー”うどん”について一言。
溝渕 うちは冷凍うどんを出していますが、他府県の人にも好評です。
佐伯 週に2、3回は食べます。「香川県人以外の人間にこの味が分かってたまるか」という気があって、他府県人に「うどんがおいしい」と言われると「おまえらに分かるもんか」と思い、一緒に食いになど行きませんわ。
中村 こっちのうどんは食べられません。特に立ち食いの味はひどい。
丸尾 うどんは同級生に送ってもらうんですが、昨年から「お歳暮は全部うどんにせい」”と会社のお歳暮もみんなうどんにしましたわ。
田渕 1日1回は食べますが、「讃岐うどんが絶対だ」という概念を変えて、秋田の稲庭うどんや山梨のほうとうの良さなども認めて、いろいろな味をもっとどん欲に取り入れた方が良いと思っています。
佐伯 それでも讃岐うどんを食べた瞬間、「ああ讃岐やなあ」と思ってしまうんですな。
溝渕 宇高連絡船で食べた40年間…。うまかったですな、あれは。
田渕 「電車に遅れたらうどん食おな」と言って、結局遅れてうどんを食っていたな。
佐伯 うどんの話になった途端、讃岐弁での座談会となったな。なんともほのぼのとした雰囲気だ。「でっきょんな」という讃岐弁など懐かしいね。
丸尾 うどんをすする音で、讃岐を思い出しますな。今年の景気回復を祈って乾杯でもやりますか。
ーー アンコ入りの白みそ仕立ての雑煮で迎えたお正月、景気回復をともに祈りましょう。

 東京で活躍中の香川県出身のビジネスマン5人による座談会が掲載されていましたが、その中の「うどん」に関する部分です。ほぼ香川県でしか読まれない四国新聞なので、もう気持ちがいいほど“言いたい放題”です(笑)。

(3月31日)

コラム「讃岐路」…うどんを打ってみたい(富士火災四国支店長)

 私は麺類がこよなく好きです。1日1食は麺を食べている。ゴルフの昼食時には消化が良いので必ず麺類にしている。とりわけ讃岐うどんは腰があってうまい。大阪の手打ちうどんもうまいが、太くて少し歯ごたえが物足りない。

 昨年4月に高松へ赴任して来たが、初日から家族でうどん屋へ飛び込んだ。たいていは釜揚げか、ぶっかけを注文することにしている。ゆであがったばかりのを出してくれるし、うどんそのものの味がよく分かるし、舌ざわりが何ともいえない。うまい店があると聞くとどこへでも出向く。先日も京都まで行ったが、讃岐うどんほどではなかった。

 たまたま知人から冷凍讃岐うどんをいただき、そのおいしさにとりこになった。わが家の冷凍庫には冷凍うどんを欠かしたことがない。出張時に高松・松山自動車道のサービスエリアでいただくうどんも安くてうまい。高松にいる間に讃岐うどんの打ち方を学んで、自分でも作ってみたいと思っている。

(6月22日)

コラム「讃岐路」…うどん巡りの日々続く(NTT高松支店総務部長)

 一歩外に出ると、いたる所に「うどん」の看板が目に飛び込んで来る。ご多分にもれず、転勤族の私も高松に赴任し1年余になるが、目下うどんのとりこになっている一人である。

 もう随分以前のことになるが、四国に帰ってくるたびに宇高連絡船に乗船するやいなや、甲板に駆け上がり、うどんをかきこんだ時のうまさは格別のものがあった。またJR高松駅構内では列車にうどんを持ち込んで、フウフウ言いながら食べた味は忘れられない思い出である。最近は休日ともなればグルメの本を携えて、お遍路さんならぬ、うどん巡りといったところ。少し車で遠出する昨今、特に気になることは交通マナーが少々荒っぽいのでは!! 香川は名所旧跡も多く県外からの観光客もたくさん来られる県である。景勝の地、名物の讃岐うどんに恥じないよう好印象を与えるよう心がけていきたいものです。明日もまた、つるつるとのどごしの良さを求めてのうどん巡りが続く。

 県外から高松に赴任してこられた方々の「讃岐うどん巡り」は、もはや「支店経済・高松」の“伝統芸”の様相です(笑)。

(7月4日)

読者投稿…うどん会館建てて(丸亀市・会社役員・64歳)

 さぬき・香川を代表するもの、それは「うどん」である。さぬきうどんは全国に知れ渡っている。冷凍うどんなども売れ行き好調だという。しかし、香川に来て食べるうどんの味はまた格別といわれる。そこで「うどん会館」を建設し、そこへ行けばいろんなお店のいろんなうどんが提供できるというものが欲しい。人間の味覚は人それぞれに異なるそうである。だしの味、うどんの太さ、細さ、あるいは洋風うどん、食べ放題、回転ずしならぬ回転うどんなど各テナントが工夫をこらし、特色を出した〈本物のうどん〉をうどん会館で味わってもらう。そしていちばんおいしい打ちたてのうどんであるのはもちろんである。

 地域のグルメが人気になると、それを一堂に介した「○○会館」的な発想がよく出てきますが、実施計画レベルで考えてみると、「既存店の競合施設になってしまう」「職人型の名店は打ち手が変わると味が変わって、たいていの場合、“本店”よりクオリティが落ちる」等々の問題が出てきます。さらに、「讃岐うどん巡りレジャー」が定着した今は、何しろ狭い県なのでちょっと時間があれば「“本店”に行った方がはるかにおもしろい」という致命的な問題があって、ビジネスとしてはなかなかうまく行きそうにないのが現実です。

(12月5日)

読者投稿…子供にも伝えたい郷土料理 讃岐うどん しょうゆ豆 雑煮…

(高松市・主婦・52歳)
 昭和20年代、まだ食料が十分でなかった頃、婚礼、法事などで家庭ではうどんを打ち、お客さまに供したものである。塩と水の加減、ねかせる時間など、おいしいうどんをと心を込めてこね、打ったように思う。時代は移って今では各家庭でうどんを打つ習慣も珍しくなり、寂しい。メーカーで工場生産されるうどんを買って来て食べるようになって久しい。うどんは打ち立てが身上で、打って十分もたつと味が落ちる。うどんはのべ板と麺棒さえあればできる簡単な料理である。日曜日など家庭でうどんを打ち、コミニュケーションを図るというのも讃岐ならではだと思うのだが…。

(善通寺市・主婦・60歳)
 農家に生まれた私は、実家でのお正月の丸もちの雑煮、7月の半夏うどん、10月の秋祭りのばらずしなど、母が作ってくれた味が忘れられない。大みそかの年越しそばならぬ年越しうどんを作ったものだ。みそとしょうゆも戦後10年余りは手造りで、その大豆を煮る大釜を使ってのうどん作りもうどん玉が店先に並ぶようになるまで続いた。こねたうどん生地を足で踏むのは子どもたち、父が打ち、祖母がゆであげ、母が玉にとるという家族総出のうどん作り、楽しさとおいしさ、家族愛に包まれた思い出が懐かしい。ばらずしも季節の材料を加えて出来ばえは皆に喜ばれ、砂糖、塩、酢の割合は妹をはじめ何人の人たちに教えてあげ、たいへん喜ばれている。巻きずししか食べられなかった主人もお気に入りになってしまった。

(高松市・主婦・59歳)
 郷土料理といえば、やはり「うどん」。娘時代に夏の暑い日ざしの中を帰った私たち三姉妹のために、母が朝から粉をこねて作ってくれたうどんの、あの時のおいしさは40年たった今でもはっきりのどが覚えている。少し固く練ったとかで、太く短いうどんだったけど、つるりとのどを通り過ぎていった甘く、まろやかな、そのくせさわやかさを感じさせるあの味だけはいつまでたっても忘れない。この麺を入れて作る打ち込み汁もおいしかった。今、流行の「1日30品目を食べよう」は、この打ち込み汁であれば30品目ぐらい楽にとれること受け合い。何を入れてもよく、その味が他の味を引き立てておいしさは百倍する。今日のように風の吹く寒い夜は、この素朴な味で体を温め、心まで豊かにしよう。

 「郷土料理」とテーマにした読者投稿特集の中に、「うどん」に関する投稿が3通ありました。昔の“生活の中のうどん”の風景がチラホラ窺えます。

(4月15日)

こだわりの讃岐の味守る…手打ちうどん料理「屋島」経営・谷川公則さん

 東京で本場のさぬきうどんを食わせる店は、そう多くはない。世田谷区松原の井の頭線明大前駅前で手打ちうどん料理「屋島」を営む谷川公則さん(51)は、かたくなに讃岐の味を守っている数少ない一人だ。高松市新田町出身。志度商高(現志度高)を卒業後、証券会社に就職。管理職研修に四国でたった一人選ばれ上京したが、その東京で「将来を考えると、自分で何かやる方がいいのでは」と思い退職。「東京でうどんをやったら」の勧めで、かな泉などで7年修業。昭和46年、今の店を開いた。

 都内には、まだ「さぬきうどん」と銘打った店がほとんどなかった時代。参考のために食べ歩いてみたが、「うどんそのものがまずく、がっかりした」という。それならと「手で練って、足で踏む、本場の手打ちうどんにこだわってみよう」と、今に伝統の味を守っている。経営は順調だったわけではない。宇多津出身の節子夫人と何度「カレーやどんぶり物も」と話し合ったことか。だが、「それをやったら、おしまい」と、うどん一本で通してきた。客はほとんどがおなじみさん。学生の街の割には学生が少なく、比較的年配者が多いとか。日曜・祝日には、本場のさぬきうどんを求めて遠出してくる人もいるという。

 昭和46年に東京の世田谷で開業した「屋島」といううどん店が紹介されていました。「東京都内にさぬきうどんと銘打った店がほとんどなかった時代」とありますが、過去の新聞記事には昭和40年代に東京にかなりの数の讃岐うどん店があったことが書かれていますので、ちょっと“盛って”るかもしれません(笑)。

(4月27日)

綾上社福祉センター開所 最高齢者ら入浴 湯船で「うどん」

 綾上町社会福祉センターがこのほど、綾上の福祉の拠点として東分にオープンしました。初日にはテープカットに続いてセンター自慢の風呂へ町内最高齢の横峰芳太郎さん(99)、森ハルさん(99)が招待されました。健康チェックの後、入浴。昔から「新しい風呂では湯船の中でうどんを食べるといい」という言い伝えがあることから、森さんはじめデイサービスのお年寄りや一般の入浴者にうどんが振る舞われました。

 「新築の家の風呂でうどんを食べる」という風習の話が出てきました。筆者が2010年に大学で学生と一緒に香川県全域から1008人に調査をした結果によると、「自分の家でやったことがある」と答えた人が109人(約11%)いましたが、そのうち半数以上が「テレビで言っていたので新築の時にやってみた」という“新参者”(笑)でしたから、今やほとんど廃れつつある風習だと言えます。ちなみに、地域別の実体験率は「まんのう町」が断トツの64%(回答27人中16人)で、以下、三豊市29%、善通寺市21%、丸亀市18%、観音寺市17%と続き、完全に「中西讃の風習」であることが判明しています。

「うどん関連広告」の本数が激減!

 「うどん関連広告」は前年まで2年連続370本を超えていましたが、この年は112本に激減していました。最大の原因は、毎年100本ぐらい載っていた「さぬきうどんラリー」の“枠もの広告”がなかったことですが、それを除いても全体的に減っていることは間違いありません。

<県内うどん店>
【高松市】

「かな泉」(高松市大工町他)……… 18本
「さぬき麺業」(高松市松並町他)… 14本

「久保製麺」(高松市番町)……………4本
「さぬきうどん」(高松市栗林町他)…2本
「川福」(高松市ライオン通)…………2本
「源芳」(高松市番町)…………………2本
「秀」(高松市八坂町)…………………2本

「三福」(高松市兵庫町)………………1本
「こんぴらうどん」(高松市古馬場町)1本
「さか枝」(高松市番町)………………1本
「丸山製麺」(高松市宮脇町)…………1本
「丸川製麺」(高松市中新町)…………1本
「すゑひろ」(高松市中野町)…………1本
「松下製麺所」(高松市中野町)………1本
「上原屋本店」(高松市栗林町)………1本
「六平」(高松市多肥下町)……………1本
「大島製麺」(高松市太田上町)………1本
「馬渕製麺所」(高松市太田下町)……1本
「田中」(高松市木太町)………………1本
「真打亭」(高松市川島東町)…………1本
「花ざかり」(高松市十川東町)………1本
「北山うどん」(高松市鬼無町)………1本
「ヨコクラうどん」(高松市鬼無町)…1本

【東讃】

「八十八庵」(長尾町)…………………2本
「権平うどん」(白鳥町)………………1本
「吉本食品」(大内町)…………………1本
「郷屋敷」(牟礼町)……………………1本
「入谷製麺」(長尾町)…………………1本
「寒川」(三木町)………………………1本
「かわたうどん」(香南町)……………1本
「甚助」(土庄町)………………………1本

【中讃】

「たかや」(多度津町)…………………3本
「いきいきうどん」(坂出市京町)……2本
「まごころ」(丸亀市蓬莱町)…………2本
「サヌキ食品」(綾歌町)………………2本
「小縣家」(満濃町)……………………2本 3月30日空港店オープン
「日の出製麺」(坂出市富士見町)……1本
「宮川製麺所」(善通寺市)……………1本
「大木屋」(多度津町)…………………1本
「大庄屋」(琴平町)……………………1本

【西讃】

「だるま食品」(財田町)………………1本
「六ッ松亭」(高瀬町)…………………1本
「讃岐亭」(高瀬町)……………………1本
「七宝亭」(観音寺市吉岡町)…………1本

<県外うどん店>

「大阪川福」(大阪市南区)……………1本

<県内製麺会社>

「藤井製麺」(三木町)…………………4本
「石丸製麺」(香南町)…………………3本
「大喜多製粉所」(宇多津町)…………2本
「民サ麵業」(高松市勅使町)…………1本

<県内製粉会社>

「木下製粉」(坂出市高屋町)…………1本

<その他うどん業界>
「加ト吉」(観音寺市観音寺町)………9本
「香川県生麺事業協同組合」……………3本

オープン広告は1本だけ

 オープン広告は「小縣家空港店」(高松市香南町)の1本だけでした。ちなみに、ここは「小縣家」の直営店ではなく、地元の某有名な方が「小縣家」からのれん分けのような形で出した店です。

●「小縣家空港店」(高松市香南町)…3月30日オープン

H6広告・小縣家空港店オープン

(平成7年に続く)

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