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- さぬきうどんの謎を追え
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- 新聞で見る讃岐うどん<昭和57年(1982)>
- vol.40 新聞で見る讃岐うどん
「さぬきうどんの日」と「さぬきうどんラリー」と「さぬきうどんまつり」の“三位一体”プロモーションが始まる 昭和57年7月2日、「さぬきうどんの日」に合わせて四国新聞社と香川県製麺組合連合会の共同主催で「さぬきうどんまつり」という催し物が開 …
- [nazo]
- vol: 40
- 2021.07.15
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- 新聞で見る讃岐うどん<昭和56年(1981)>
- vol.39 新聞で見る讃岐うどん
「さぬきうどんラリー」開催、「うどん踏み機」も登場! 昭和56年の香川の一番の話題は、3月21日に開幕した「仁尾太陽博」。仁尾町の塩田跡地で「太陽熱発電」の実験プラント(今流行りの「太陽光発電」ではなく、大量の鏡で太陽の光を塔の一点に集め …
- [nazo]
- vol: 39
- 2021.07.01
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- 新聞で見る讃岐うどん<昭和55年(1980)>
- vol.38 新聞で見る讃岐うどん
大平首相の急逝と、包装麺業界の過酸化水素問題が起こった年 この年の6月、大平首相が就任後わずか1年半で急逝するという悲しい出来事がありましたが、讃岐うどん界では「包装麺」業界に大激震が走りました。包装麺はその製造過程で減菌剤や防腐剤として …
- [nazo]
- vol: 38
- 2021.04.22
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- 新聞で見る讃岐うどん<昭和54年(1979)>
- vol.37 新聞で見る讃岐うどん
県の商業統計で、県下うどん店の数が「約600店」と判明 前年末の昭和53年12月に大平正芳先生が内閣総理大臣に就任し、昭和54年の郷土は年明けから祝賀ムードに包まれております。この年のうどん関連記事も特に目新しい話題はありませんでしたが、 …
- [nazo]
- vol: 37
- 2021.03.22
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- 新聞で見る讃岐うどん<昭和53年(1978)>
- vol.36 新聞で見る讃岐うどん
本文キャッチ この年、「讃岐うどん・弘法大師起源説」がほぼ確定する(笑) 昭和53年の新聞に載った讃岐うどんの記事は、ほのぼのとした“小ネタ”がほとんど。うどん店やうどん関連企業の広告掲載本数も70本(前年94本)で、そのうちオープン広告 …
- [nazo]
- vol: 36
- 2021.03.01
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- 新聞で見る讃岐うどん<昭和52年(1977)>
- vol.35 新聞で見る讃岐うどん
大きな話題はないけれど、うどん店の広告本数は過去最多。業界はそれなりに順調のようです 昭和52年の四国新聞に載っていたうどん関連記事は、「県観光協会が『こんぴらうどんの会』の協力で東京の亀戸天満宮で献麺式とうどん1000食の振る舞いをした …
- [nazo]
- vol: 35
- 2021.01.21
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- 新聞で見る讃岐うどん<昭和51年(1976)>
- vol.34 新聞で見る讃岐うどん
全国への物産PRが盛況、うどん店のオープン広告も続々と。 ピンクレディーが「ペッパー警部」でデビューし、「猪木vsアリ」の世紀の一戦が行われた昭和51年。食品業界では日清食品から「どん兵衛きつねうどん」が発売され、山城新伍と川谷拓三による …
- [nazo]
- vol: 34
- 2021.01.07
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- 新聞で見る讃岐うどん<昭和50年(1975)>
- vol.33 新聞で見る讃岐うどん
「第一次讃岐うどんブーム」は、おそらくこの頃だ 大阪万博から5年経ち、昭和50年代に入りました。その間、日本経済は昭和48年の変動相場制への移行と第一次オイルショックで高度成長時代が終わり、「安定成長時代」とも「低成長時代」とも言われるよ …
- [nazo]
- vol: 33
- 2020.12.24
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- 新聞で見る讃岐うどん<昭和49年(1974)>
- vol.32 新聞で見る讃岐うどん
うどん店の広告が過去最高の盛況ぶり! 荒井注に代わって志村けんがドリフターズに加入し、ガッツ石松が世界チャンピオンになった昭和49年ですが、四国新聞で見つかった「うどん」関連記事は5本だけでした。しかし一方で、うどん店や製麺会社の広告は単 …
- [nazo]
- vol: 32
- 2020.11.19
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- 新聞で見る讃岐うどん<昭和48年(1973)>
- vol.31 新聞で見る讃岐うどん
「高松砂漠」の渇水を乗り越えて 昭和48年の夏、香川県は「高松砂漠」と呼ばれる大渇水に見舞われました。特に高松市は大変な状況になって、給水車が出動し、遠く府中湖や満濃池から救援送水が行われ(香川用水が開通したのは翌昭和49年)、高松まつり …
- [nazo]
- vol: 31
- 2020.09.17