さぬきうどんのメニュー、風習、出来事の謎を追う さぬきうどんの謎を追え

vol.22 新聞で見る讃岐うどん

新聞で見る讃岐うどん<昭和39年(1964)>

(取材・文:  記事発掘:萬谷純哉)

  • [nazo]
  • vol: 22
  • 2020.03.05

昭和39年は東京オリンピックの年。地元の新聞には、ほのぼのとした“讃岐うどん賛歌”がちりばめられていました

 昭和39年(1964)は、「東京オリンピック」が開催され、東海道新幹線が開通して、王貞治選手がホームランを55本打った年。昭和35年頃に始まった日本の高度成長期がこの年に一段加速したと言えるわけですが、讃岐うどん界は新聞で見る限り、特に何かが一気に加速したような雰囲気は見られませんでした。ただ、讃岐うどんの人気が窺える“ほのぼのとした話題”はいくつか散見されました。

ポリ袋入りの「日持ちするうどん玉」が新発売

 まずは、「日持ちのするポリ袋入りのうどん」が初めて登場したというニュース。

(1月19日)

“讃岐の味”を出荷 手打ちうどん、ビニール袋に入れ全国へ

 “讃岐の手打ちうどん”といえば固くてうまい独特の風味で親しまれ、特に県外の人たちに愛されているが、この手打ちうどんがビニール袋に入れられて、京阪神方面に観光讃岐のPRに一役買って送られることになった。

 これを考えついたのは高松市内のあるうどん屋さん。今まで2、3日もすると腐っていたのを「何とか長期間保存できるように」と研究した結果、うどん玉を特殊な方法で殺菌、ハイゼックス袋に入れてさらにビニール袋で覆うと、冬なら1週間から20日間は大丈夫だということがわかった。今、このうどん屋さんは讃岐の味を全国どこの人たちにも味わってもらおうと、近く2玉入り1袋30円で売り出すことにしている。

 「ハイゼックス袋」というのはいわゆる「ポリ袋」ですが、茹でたうどん玉を殺菌処理してポリ袋に入れ、さらにビニール袋に入れたら日持ちがするようになったとのこと。これまで、「うどん玉の持ち帰り」は「製麺屋にざるを持って行ってうどん玉だけ入れてもらって持って帰った(『昭和の証言』vol.14参照)」等、「ゆでたうどん玉をそのまま買って持って帰る」という話しか出てきていませんので、「袋とじうどん(とは言わんか・笑)」は初めての登場です。残念ながら「高松市内のあるうどん屋さん」としか書かれていませんが、歴史の小ネタにちょっと残しておきたい出来事です。

「家で作る打ち込みうどん」は日常の風景

 コラムにチラッと「打ち込みうどん」が出ていました。

(1月23日)

コラム「一日一言」

 …(前略)…酒かすといえ.ば、ニンジン、ダイコン、コンニャクなどとともにシャケの頭を入れたかす汁は、みぞれ降る寒夜には打ってつけのごちそうだが、讃岐路ではうどんの打ち込み汁に押されてか、あまり作られない。…(以下略)

 「家で打ち込みうどんを作って食べていた」という話は「昭和の証言」であちこちに出てきますが(「昭和の証言」vol.13等参照)、このコラムの1行からも、当時の家庭で打ち込みうどんが当たり前のように食べられていたことが窺えます。食生活があまりに豊かになった今日、「家で作る打ち込みうどん」の文化はすっかり影を潜めてしまいましたが、かといって「みんな、家で打ち込みうどんを作って食べよう」とかいうキャンペーンをやってもおそらく受け入れられない…。すると、「讃岐の打ち込みうどん文化」を復活させようとするなら「イベント化」しかないかもしれません。山形の「日本一の芋煮会フェスティバル」の向こうを張って、「日本一の讃岐の打ち込みうどんフェスティバル」とか、半夏生や秋祭りに県下各地で「打ち込みうどん大会」とか(笑)。

“讃岐うどん賛歌”が続々と

 続いて、この年は“讃岐うどん賛歌”とでも言うべき記事がいくつも載っていました。まずは、オリンピックを控えて県外から香川に合宿に来ていた選手たちが「日本一うまい讃岐うどん店に行った」という話題。

(3月13日)

五輪を目指して/佐藤選手、西内コーチの合宿ルポ

 …(前略)…県下で合宿中の西内コーチら五輪候補の中・長距離5選手は去る8日、屋島陸上競技場で折からの寒風をついて3時間たっぷり汗を流した。この日の練習中、西内コーチが「日本一うまい讃岐うどんが食べたい」と言い出した。昨年合宿に来た時、地元関係者に案内されて食べた味が忘れられなかったようだ。だが西内コーチ、その店の名前と場所を覚えていなかったので、さっそく練習を見に来ていた県教委保健体育課高橋主事にその店を探すよう手配。高橋氏があちこちに連絡を取って、やっと探し出した。その店の名は「K」(高松市内町)。練習後、西内コーチに連れられた選手たちは「日本一の讃岐うどん」を試食のため直行。目の前で手際よく作られる手打ちうどん。選手たちは味のよさと練習後の空腹で「うまいうまい!」を連発、ほとんどがお代わりを注文していた。

 「日本一うまい讃岐うどんの店」、どこでしょう。筆者が平成10年に発行した『さぬきうどん全店制覇攻略本』をくまなくチェックしてみましたが、高松市内町に「K」で始まるうどん店は見当たりませんでしたので、それまでにどこかの時点で廃業した店だと思いますが…。あと、余談ですが、1980年代に阪神タイガースが高知県の安芸でキャンプを張っていた時、ロッテから移籍してきた弘田が「うどん店をハシゴした」というだけの話に某スポーツ紙が「弘田、うどんのダブルヘッダー」という見出しを付けて記事にしていたのを思い出しました(笑)。スポーツ記者は、ネタがない時は何にでも食いつきます(笑)。

(3月1日)

コラム「月曜随想」/高松あれこれ 国鉄四国支社長・長沢小二郎し

 四国高松に住み着いて1年になる。「香川県高松市」と言うより「四国高松」という語感が何とも言えず好ましい。生まれは横浜市で育ったのは東京だが、すでに東京に家もなく、れっきとした高松市民である。
…(中略)…
 それにしても、讃岐うどんはうまい。高松駅のうどんも、おかげで好評のようである。しかし、他には瓦せんべいぐらいしかないのは寂しい。米が至ってうまいのだから、何か考え出されないものだろうか。(以下略)

 昨年東京から赴任して来られた国鉄四国支社長が、讃岐うどんのうまさを称えています。「それにしても、讃岐うどんはうまい」の1行から、商売柄(高松駅ホームのうどん)と香川県民への心遣いを差し引いても、その称賛ぶりが伝わってきます。

消えた郷土料理「源平なべ」は、「うどんすき」のルーツ?!

 続いてコラム「一日一言」に、郷土料理「源平なべ」の話と“讃岐うどん賛歌”が載っていました。

(12月26日)

コラム「一日一言」

 「味の観光」という言葉が近頃しきりに使われるが、それを裏書きするように雑誌『旅』と『週刊読売』に郷土の味(といっても主として高松だが)が紹介されている。いずれも地元のライターの手になっただけに、アナとツボは心得たもの。「灯台もと暗し」で、高松にも「飛鳥なべ」を食べさせる店のあることを『旅』で知った。「飛鳥なべ」とは若鶏と野菜のミルク煮のことで、本場は大和の橿原。飛鳥時代に初めて我が国で牛乳を飲み出したのでこの名があるというが、真偽の程は知らない。これが奈良へ行くと「万葉なべ」と名を変える。いかにも観光地らしい商魂が読み取れるが、わが讃岐に「源平なべ」のあることはあまり知られていない。料理屋側がさじを投げたのか、観光客が飛びつかないのか知らないが、土佐の皿鉢料理の向こうを張って大いにPRしてほしいものの一つだ。

 まず、香川にかつて「源平なべ」という郷土料理があったという話。「源平なべ」とは野菜や魚介類の寄せ鍋で、源平合戦にちなんで源氏の白旗に見立てた「ダイコン」と平氏の赤旗に見立てた「ニンジン」と、源義経が阿波(徳島県)経由で攻め込んできたことにちなんだ「ナルト(渦巻き模様のカマボコ)」を入れていたそうですが(義経は鳴門の渦潮のあたりは通ってないけど・笑)、それが昭和39年当時にはすでに「あまり知られていない」と一言子がお嘆きです。「源平なべ」は「源平合戦屋島の戦い(1185年)に起源がある」という“ストーリー”もあり、鍋の締めにうどんを入れていたそうなので、「うどんすき」のルーツみたいな存在かもしれません。うまく演出して復活させたらどうでしょうか。

 そこへゆくと、庶民の味「讃岐手打うどん」の評判は素晴らしい。高松駅ホームの立ち食いうどんは1日に2000杯も売れるそうで、これは国鉄の佐々木正夫さんが「ふるさとの味」に書いているのだからウソではあるまい。ホームの立ち食いも、雪深い信越、東北方面ではもっぱらそば一辺倒で、これがまた山国の情感を誘う風物詩だが、手打ちうどんとなると南国ムードの牧歌調だ。ただし、同じ南国でも土佐へ行くとほとんど干しうどんで、讃岐の手打ちとは比較にならぬお粗末なもの。讃岐でも「小豆島のうどんだけは例外だ」と去る人から聞かされたことがあるが、ここはやはりそうめんの方が光るのだろう。しかし、最近はセロハン包装の真空うどんも出ていることだし、味の方面でも観光の島の面目を保ってもらいたい。

 冬至そばも済んで、今度はいよいよ晦日そばだが、うどん、そばは何と言っても熱いのをフウフウ吹きながら食べるのが命。田舎のうどん屋などで煮干しのニオイのキツイ生ぬるいおつゆのうどんを出された時ほど、うんざりするものはない。このほど、去るところで鍋焼きうどんの薬味にフキノトウとノビルの刻んだものを出されて、その風雅な心遣いに頭が下がった。フキノトウは畑の畦を掘って探し出したとのことだった。

 続いて、「讃岐手打ちうどんの評判は素晴らしい」という賛歌。勢い余って「土佐のうどんはほとんど干しうどんで、讃岐の手打ちうどんとは比較にならないほどお粗末なものだ」とか「香川でも小豆島のうどんは例外だ(お粗末だ)」とか、「田舎のうどん屋で生ぬるいおつゆのうどんが出てくるとうんざりする」とか、キツいダメダシも飛び出していますが(笑)、「鍋焼きうどんの薬味にフキノトウとノビル(野蒜)が添えられていた」という心遣いを称賛するなど、一言子の讃岐うどんに対する“愛”と“こだわり”があふれています。

大豆粉入り「高級タンパク強化麺」が登場

 次は全国ニュース。全国製麺組合連合会が「大豆の粉を練り込んだタンパク質強化麺」を新発売しました。

(8月26日)

スタミナ食品「大豆粉入りの麺類」、秋からお目見え 腐敗しやすいのが難点

 “畑の牛肉”と言われる大豆の粉を加えた麺類が、近く全国的にお目見えすることになりました。国立栄養研究所応用食品部長岩尾裕之さんの指導のもとに、全国の製麺業者が作り、9月頃から売り出すことになったもの。麺類はタンパク質が少ないので、それに大豆のタンパク質を加えたスタミナ食品です。
…(中略)…製麺業者の全国団体である全国製麺協同組合連合会(全麺連)では、各業者に大豆粉を5%ないし10%入れた麺を作らせ、それを「高級タンパク強化麺」として9月中頃から普及させることになったものです。すでに東京などでは集団給食や学校給食に試験的に供されています。

 普及には栄養改善普及会も後押ししていますが、肝心の製麺業者がなかなか踏み切れなかったようです。大豆粉を入れても味は悪くならず、むしろ風味がよくなる、ベタつかず歯触りがよくなる、などと試食品からは好評ですが、業者が心配している点は、大豆粉を入れると色が淡黄色になることです。「慣れれば苦にならないはずだが…」と全麺連主事の中島孝四郎さんは言っていますが、そばやうどんの色に対する好みは一朝一夕には変えられないかもしれません。比較的腐敗が早いというのも欠点で、一斉発売を秋に持ち越した理由の一つもここにあるそうです。この点について岩尾さんは「栄養価が高いから早く腐るのだと言ってしまえば身もフタもなくなるが、混ぜ合わせる時に空気中の雑菌が入るのも腐敗を早める大きな原因と考えられるので、殺菌灯をつけて処理してみてはどうか研究中」だそうです。

 昭和30年代は、まだまだ栄養不足の時代。米も黄色い粒の「ビタミン強化米」が販売され、全国の家庭にそれなりに普及していましたが(年配の方は白米にパラパラと黄色い粒の米が入ったご飯の記憶があると思います)、こちらの「タンパク質強化麺」は、あまり普及しなかったようです。

 では次に、小麦に関するニュースと香川の麦作状況を見てみましょう。

坂出港に入った輸入小麦はどんどん増加して、年間14万トン以上

 まず、2月に坂出港に入港した小麦船の記事に、年間輸入量の数字が載っていました。

(2月18日)

大麦積んでオランダ船入港 活気づく坂出港

 坂出港に17日朝、オランダ船「ワールドリッチ号」=8000トン=が大麦5000トンを積んで入港、荷役を始めた。1月に小麦船一隻が入り、1万1200トンを陸揚げしており、これが2船目。26日には「ウリーラー号」が小麦7500トンを、29日には「オリエンタルスター号」が小麦1万2500トンを積んで入港することになっており、3月上旬の入港予定を加え、今年は昨年の輸入小麦14万トンを上回ることは確か。坂出港への輸入食糧は我が国でも横浜、名古屋、神戸、大阪、東京に次いで6位にのし上がっている。

 坂出港に入ってきた外国産小麦の年間輸入量を過去の新聞から拾ってみると、
(昭和34年)約3万トン
(昭和35年)約4万トン
(昭和36年)約6万トン
(昭和37年)約8万トン
(昭和38年)約14万トン
というふうに、どんどん増加しています(昭和39年は「14万トンを上回ることは確か」と書かれていますから、伸び率は一旦落ち着いてきたのかもしれません)。この間、讃岐うどんの人気も上がっていたようですが、「うどんの生産量が急増した」という記事は見当たりませんので、特にパン食の普及が大きかったのではないかと推測されます。

小麦事情は小康状態

 続いて「香川の麦作」について、農林省香川食糧事務所長が四国新聞に所感を述べられていました。少し長いですが、全般的な概況がまとめられていますので読んでみましょう。

(3月9日)

コラム「月曜随想」/麦作に思う 北村正一(農林省香川食糧事務所長)

 早春の田畑に麦が青々と生育しているのを見て、ホッと胸をなで下ろすとともに、不作地もぼつぼつ見受けられ、何となく複雑な気持ちである。昨年の麦作は70年来の大不作と言われ、その被害は全く惨憺たるものであった。関係者は挙げて被害対策に努力されたが、中でも心配されたのは再生産の種子の確保であった。たまたま前年産麦が国の手持ちとして農協倉庫に保管されていたので、これを種子麦として転用したが、発芽の実態を見るまでは全く心配であった。また、37年産麦についても、収穫期直前に集中豪雨を受け、特に小麦の相当量のものが品質低下になるなど、最近の麦作は必ずしも恵まれていなかった。麦類が斜陽作物と見られる傾向がいよいよ強くなり、今年の作付面積が前年に比し約1割も減少しているのは無理からぬことだとも考えられる。

 しかし、今さら述べるまでもないが本県は気候風土に恵まれ、米麦作の適地であり、また麦類の収穫時の天候も概ね良好なので、麦作は水田裏作として冬作の王座を占め、農家の適切な肥培管理と相まってその品質は高く評価されて「三県もの」(兵庫、岡山、香川)と呼ばれ、特に裸麦は品質がよく、「黄金麦」として市場の人気を博していた。本県の麦作面積は米の75%ぐらいであるが、商品化数量は米が50%ぐらいであるのに対し麦は80%を超え、国の買い入れ数量でも麦が10%以上上回っている現状である。もちろん、麦の買い入れ価格は米価の55%ぐらいなので、現金収入としては米の60%程度であろうが、農産物全体としては15%ぐらいを占め、必ずしも低くないと思われる。問題は、このような麦価で生産費が補償されるかということであろう。これは国の政策に関することでもあるが、本県のような集約管理の地区でも、麦生産地の中では必ずしも高い地区ではないと言われている。

 ここで麦類の生産消費状況を見ると、最近の傾向としては大麦、裸麦の生産が減少しつつあり(本県は裸麦が逆に15%多い)、現在の生産量では需要を充足しているが、小麦については全生産量でも需要の半分にも満たず、多量の外国小麦を買い入れている。小麦は二次加工(パン、めんなど)として広く消費されており、しかも需要は年々微増を示しているようである。しかし、外国小麦は国際的食糧でもあり、適地適産の大規模経営のため、その価格も安く、穀物としての競争も激しく、国内麦にとっては実に強敵である。そこで、現在は国内麦と外麦の価格とを調整して適当な売り渡し価格を設定し、消費に当たっている。これが一般に言われる「逆ざや」減少であり、すなわち国内麦の買い入れ価格は売り渡し価格より高いわけで、麦の流通量の多いのもこれが原因の一つと思われる。

 このような麦類の現況及び背景を眺め、しかもこれだけのウエートのある麦作に変わるべき有利な作物が見当たらない現在、麦作をそれなりに検討する必要があろうと思う。適地適産の立場から、良質の裸麦、飼料麦あるいはビール麦などの推進を図ることはもちろんであるが、特に小麦作の奨励に努力を傾注する必要がある。貴重な外貨を外国小麦に多量に支払うことは現状としてはやむを得ないと思われるが、少しでも国内麦の代価に振り替えるよう、工夫努力することが望ましい。そのためにはいろいろな対策があろうが、第一は生産性を高め生産費を低下することである。これは、現在の構造改善事業が進展すれば逐次実現することと思われる。第二は優良品種の選定採用である。従来のような雨害を避けるために、熟期の早いもの、しかも製粉性の有利なものを耕作することである。今年の麦作も現在のところ、あまり芳しくないようだ。しかし、収穫期の天候いかんが最も重要である。農家のせっかくの努力が報われるような作況になることを切に希望したい。

 まず、香川県は麦作に適した土地であることが述べられています。香川県産の麦は兵庫県産、岡山県産と並んで「三県もの」と呼ばれ、特に裸麦は「黄金麦」として人気があったとのことですが、「昭和26年」の記事中に「香川、兵庫、岡山の小麦は『三県小麦』と呼ばれて一級品に格付けされている」という記述がありましたので、香川県産小麦も当時はなかなかの高評価を受けていたと思われます。そして、安い外麦と戦うために国が補助金を注ぎ込んで「逆ザヤ」現象が起こっているというのも、人件費や土地の高い日本で労働集約型産業の典型である農業を守ろうとすれば、当然の帰結だと言えるでしょう。

 ちなみに、昭和36年、37年に年間5万トンほどあった香川の小麦収穫量は昭和38年に天候不順で4310トンにまで落ち込みましたが、この年は3万4000トンほどに回復しました(「昭和38年」のグラフ参照)。記事掲載の3月時点では「今年の麦作も現在のところ、あまり芳しくないようだ」とありますが、結果的にはかなり持ち直したのだと思われます。

(4月10日)

4月1日現在県下麦作概況/平年作を下回る 耕作休閑目立つ

 農林省香川統調は1日現在の県下麦作概況をまとめたが、天候不順など条件悪化のため平年作からやや悪化、赤信号が出ている。今年の県内麦作は園芸、畜産など選択的拡大ムードに押されて後退気味。作付も前年(裸麦1万6400ヘクタール、小麦1万3900ヘクタール)より約10%減ったものと推定され、特に兼業農家が収入の多い農外収入を求めるため、労力不足も加わってこれらの耕作放棄(休閑)も目立っている。しかしこの反面、1ヘクタール前後を耕作するいわゆる自立農家は、麦の代作の秋野菜の暴落、タマネギ、ナンキンなどの夏野菜に対する価格維持不安もあって、政府価格に不満ながらも売り渡しに苦労のない麦作に依存しているとも言われる。

 しかし、裸麦、小麦の面積差が狭まり、昨年の大災害から優良種子を失い、全般的にかき集めた雑多な種麦を使ったため、発芽を心配しての極端な厚蒔き現象を示しているのも特徴。発芽は案外よく、順調に成育を続けていたところ、2~3月の寒波から3月下旬以来バカ陽気で地上部と根部がアンバランスとなり、軟弱徒長の上、一見株数が多いようだが、今後、有効穂数の確保が難しくなっている。これらの悪条件にさらに降雨続きのため、「白シブ病」「赤シブ病」が早くも各地に発生し始めている。麦の作柄後半を支配するのは出穂前40日と言われるが、今後の病虫害発生いかん、また倒伏などが作況のカギになるものと見られ、全般的には目下警戒が必要というところ。

 しかし、いかんせん「逆ザヤ」の保護がなければ成り立たない県産小麦は、ここから次第に収穫量を減らしていくことになります。

小豆島の手延べそうめんは、それなりに順調

 一方、小豆島の手延べそうめんも天候不順の影響を受けたようですが、こちらは相変わらず「注文が殺到」「生産が応じきれない」という状態が続いているようです。

(3月28日)

手延べそうめん、暖冬・雨で減産

 小豆島特産手延べそうめんの「寒そうめん」は、一応月末で生産を打ち切る。「寒そうめん」は昨年11月から5ヵ月間にわたって池田町内の農家130戸が中心となり生産に当たっていたが、今年は暖冬異変と雨のため生産が思わしくなく、目標の5万箱(1箱18キロ入り)を1割ほど下回った。毎年県外を中心として10万箱近い注文があり、中には遠く北海道から大口注文もあるほどで、現地では生産に応じきれないという有様。機械を使っての生産と違うだけに量産も望めず、各生産家庭とも、跡を継ぐ若者を欲しがっている。

(11月9日)

垂れる姿は白糸の滝

 小豆島の池田町で特産の手延べそうめんの生産が始まった。同町の農家が副業としてそうめんを作っているもので、来年の3月頃まで生産は続けられる。庭先で乾燥されるそうめんはまるで白糸を思わせ、秋の日を受けてまぶしく光っている。これから寒くなるにつれて、次第によい製品ができるという。このところ手延べそうめんは需要が増え、注文が殺到している。

 「そうめん生産の最盛期」の記事は毎年恒例みたいなものなので特筆すべきものはありませんが、当時の小豆島そうめんの概況が改めてまとめられていましたので、ご確認ください。

(12月12日)

コラム「歳末をかせぐ」/手延べそうめん

 小豆島池田町の特産の一つ「手延べそうめん」の生産は今が最盛期。空気が乾燥している冬場でないと、よい味のそうめんができないからだ。業者のあちこちの庭先では乾燥中のそうめんが冬の太陽と風にさらされながら、「滝の白糸」のように美しい。その姿は近くの畑にたたずむこげ茶色の芋づるの塔と対照的で、島独特の冬の風物詩。

 現在、同町には約130の製造業者があるが、その大半が農家の副業。生産目標は同町全体で5万箱(1箱18キロ入り)で、来年の3月まで製造は続けられ、夏までに出荷は終わるが、その稼ぎ時が歳末期。出荷先は九州、京阪神が主。値段は1箱(18キロ入り)1700円見当だが、原料の値上がりなどから来年出荷するそうめんはやや高値になりそう。需要はこのところめっきり増え、生産が追っつかない状態。けれど、業者は年々減っている。それというのも、労働過重になるからだそうだ。

 同町で手延べそうめんが作られるようになったのは、今から約360年前の慶長年間。当時の製麺法は原始的であったが、今ではもちろん機械を使っている。しかし、朝は2時、3時頃から夜は7時頃まで実に1日16~17時間働かねばならない。このため、業者が減っているわけだ。昔から「そうめん屋に嫁をやったら親の死に目に会えない」と言われているほどだ。そうは言っても農家にとってもそうめん作りは大きな収入源。先祖からの伝統を受け継ぎ、このところそうめん作りに追われている農家も多い。

 昭和39年の小豆島手延べそうめんの基本的な数字をまとめると、

(製造業者数)…130戸
(生産目標)……5万箱
(1箱の価格)…1700円

とありますが、8年前の「昭和31年」の記事中には、

(製造業者数)…130戸
(生産目標)……4万箱
(1箱の価格)…1300円

とありました。それから8年経って生産量と単価は上がってきていますが、製造業者数は変わっていないようです。

 では次に、イリコの記事を一つ。

(6月22日)

引田浜は夏日差し イワシの乾燥始まる

 イリコの産地、大川郡引田町でイワシの乾燥が始まった。同町のイワシ巾着網三統はこのほどから播磨灘でイワシ漁を開始、高温が続いたため豊漁が続き、多い日は1日5万キロ、平均2万4000キロほど水揚げしている。この頃のは10センチもある大型で、うち2割見当をイリコ加工し、浜一面が太陽の反射を受けてキラキラ輝く。最盛期は8~9月。削り節や化学調味料に押されて値段は3キロ入り1袋が昨年の6割の250円前後で、業者は“豊漁貧乏”を嘆いている。大半はハマチ養殖のエサになる。

 以前にも触れましたが、ここまで新聞に載った「イリコ生産(イワシ漁)」の記事は東讃ばかりで、今日の讃岐うどんを語る時に必ず出てくる「伊吹のイリコ」の話は全く出てきません。そういえば、昭和20年代には「香川のそうめん処」として小豆島、仏生山、豊浜の3カ所の名前が新聞に挙がっていましたが、30年代に入ると、仏生山と豊浜のそうめんは全く記事にならなくなりました。そうめんとイリコは、昭和のどこかで名産地の勢力図が変わったと思われます。

物産展は“戦国時代”

 続いて、「物産展」の話題。昭和39年は、

●「四国の観光展」
 ・2月3日~3月6日
 ・主催:国鉄四国支社、四国4県
 ・会場:国鉄本社(東京)PRコーナー

●「四国の観光と物産展」(讃岐うどんの実演販売あり)
 ・11月17日~22日
 ・主催:四国4県
 ・会場:東京日本橋三越

の2つが新聞で確認されました。加えて、当時の物産展事情がよくわかる特集記事が見つかりましたので、小分けにして見てみましょう。

(1月3日)

白熱化する全国物産展 「五輪」控え拍車 各府県、お国自慢でPR

 観光地とみやげ品の抱き合わせ戦術に出た全国物産展や商品見本市は、新しい“PR戦国時代”に入った。観光地やお国自慢のみやげ品の商魂はこのところもっぱら“東京基地”を舞台に激しく火花を散らした。見本市、物産展イコール商魂という寸法の商戦だが、世はまさにPR時代とあってすさまじいばかり。それも今年の東京五輪でますます拍車がかかろう。

東京戦線”に異状

 今年は東京オリンピック。青い目の外人さんが大挙押し寄せるほか、日本中はこのあおりを食ってバカンスづくことはまず間違いない。そうソロバンがはじかれた以上、一刻も油断はできない。観光地も見方を変えれば立派な商品。お国自慢のみやげ品と一緒に売り出したとて不思議はない。この1年、商戦の基地と化した東京で物産展、商品見本市の開催回数は実に500回を超え、まさに「東京戦線に異状あり」といった感じ。観光地、おみやげ品といっても大方は五十歩百歩。そこで少しでも多くの観光旅行者を集め、おみやげ品を広い土地に売りさばくには、PRが最後の手段となる。だが商戦は生やさしいものではないようだ。

 一例を挙げると、物産展に見られる限り、おみやげ品となればお国自慢というものの、民芸品か、食料品ということになる。だが、北海道の名産イカ、コンブ、ウニ製品など海産物は青森、福島、宮城県産とも競合するし、高知県のカツオも広島、長崎その他南国ものの海産物と市場を争っている。こけし、その他の民芸品にしても、多少の郷土性はあってもそれほど変わらない。漆器、焼き物、陶磁器とても同じで、香川、奈良、福井、福島、岐阜、三重といずれも競い合っている。これは全くの一例にすぎない。

 全国の都道府県がそれぞれ地元の物産や観光を東京で盛んにPRしていたのが、東京オリンピックを控えてPR合戦がさらに白熱化しているという記事。「競争が激しくなったが、民芸品も食品も多少の郷土色はあっても大差はないため、宣伝方法で差別化するしかない」という分析です。

海外市場へも進出 香川、秋にはハワイで物産展

 ところが最近、全国各地の特産品は地元だけのおみやげ品にとどまらず、その土地を離れて国内外の市場にデビューしようとしている。香川でも秋にはハワイでの物産展を開く動きが活発化してきた。九州ブロックではすでに昨年香港で物産展を開き、大成功を収めている。当然そこに激しい商戦が巻き起こるわけだ。ある意味で勝ち名のりを上げた特産品こそ国内産業のチャンピオンになれるわけ。道府県が東京を主戦場として商戦隊を繰り出し、活発に物産展を開こうとしているのもそうしたところに目的があるようだ。東京での売上は多いに越したことはないが、赤字を出しても都道府県が会場費を負担する目的は、ただ一にも二にもPRの狙いの場合が多い。

 その甲斐あってか、香川県の小豆島特産のオリーブ、さぬきうどんなど全国各地に名を売ったものも相当ある。北海道のイカ、コンブ、アイヌ木彫り、青森のつる製品、岩手の南部鉄びん、宮城の郷土こけし、福島のイカめし、茨城のささずし、とうろう、埼玉の草加せんべい、山梨の水晶、ブドウ、長野の信州ソバ、島根の木炭、高知のサンゴ、愛媛の姫てまり、鹿児島大分のつげなどは上昇株の組に入った。

 このPR作戦の最前線に立ったのは他でもない各道府県の東京物産斡旋事務所。どこの府県も所長以下わずか10数人の小部隊だが、府県商工部の粒よりのベテランで組織した精鋭。香川の斡旋部は東京駅八重洲口、国際観光会館の2階。この中に琉球を含めた23道府県の物産がひしめいている。平井物産斡旋係長以下3人という“香川勢”だが、平井さんはこの道13年というベテラン。隣接するA県、B県、C県の内情をすばやく偵察、自県独自の特色をグンと効果的にクローズアップ、相手が観光展写真にカネをかけたと見抜けば、さっと自県もそれにスライド写真を加え、生きた楽しい旅のプランのもと“旅行ガイド軍”も繰り出す。相手が食料品でくれば、こちらは民芸品、民族舞踊でと、赤坂のきれいどころを一夜にして“島娘”に仕立てる(高知県)ところもあった。この他、県産業製品の販路拡張、有利な商談、市況情報の入手をはじめ、自県の生産物より優れているデザインはすかさず取り入れ、新しい商品としてデビューさせるすばしこさもあり、戦国時代を乗り切る意欲が見られる。

 そして、都道府県の物産PRは海外へも進出を開始しました。ただし、「香川でも秋にはハワイでの物産展を開く動きが活発化してきた」とありますが、この年の新聞には「ハワイで物産展」の記事が見当たりませんでしたので、結果的に秋には実現しなかったのかもしれません。

 香川の物産では「全国的に名を売った」ものとして、小豆島のオリーブと讃岐うどんの2つが挙げられています。これまでの新聞記事には、物産展に出品された香川の物産としてオリーブやうどんに加えて漆器、手袋、アジロ盆、郷土玩具、うちわ、日傘、模造真珠、盆栽、保多織、魚せんべい、味噌…等々が出てきましたが、この頃にはすでにオリーブと讃岐うどんが頭一つ抜け出ていたと推測されます。

 あと、東京で物産斡旋を担当する「平井さん」はなかなかのやり手だったようですね(笑)。高知県は「島娘」と称して「赤坂のきれいどころ(たぶん芸者さん)」を起用していたそうですが、今なら「産地偽装」で炎上してたかも(笑)。

会場難でブロック化

 こうした物産展、見本市は単独でも開かれているが、今年の傾向として従来より大々的になる他、四国4県、東北6県、九州などブロックごとに開き、しかも開催の回数が増えるものとみられている。これは全国ほとんどの府県が先を争ってPRに乗り出そうとしたため、まず会場難にぶつかったことだ。物産展で伝統のある日本橋の三越デパートは1年前に予約していないと会場が取れない。それに、バラエティーが問題。一府県だけの催し物では迫力がなく、他県との特色を出しても目立たない。ブロックごと、あるいは商品別の全国店でお国柄をはっきり示せば、その効果は倍加すると、各地とも正面から堂々と戦いを挑んだ形だ。

 昨年6月に開いた第9回全国郷土物産展もその一つの現われで、沖縄まで含めた全都道府県から10万点を超す特産品、民芸品、名物が出品即売された。同展にはほとんどの都道府県が1000点以上を出品した。北海道の4568点を筆頭に、高知、宮城、群馬、愛媛、山形、静岡、徳島がそれぞれ3000点以上、香川は2359点を出した。出品1000点以下は福井、兵庫、和歌山、岡山の4県にすぎない状態。

 ここでも「観光と物産展」を結びつけたミックス展だったことはいうまでもない。「観光旅行はわが県へどうぞ」という仕掛けになっていた。福島の会津漆器を展示したバックには吾妻スカイラインの超特大の観光写真を飾り、ウグイス娘の名調子のガイドも披露された。また富山のスキー用具に立山連峰、鳥取の二十世紀ナシに鳥取砂丘、島根の民芸紙に宍道湖、香川の小豆島とオリーブの木、徳島の鳴門ワカメにうず潮、宮崎のシイケタと日南海岸の写真、ポスターを配するといった具合。

 売り上げも上がってかなりの成功を収め、この全国物産展はわずか4日間で前年の2倍に当たる1500万円を売り上げた。そのベストテンを拾ってみると山梨の60万円をトップに愛知58万円、奈良47万円、福島46万円、長野、岡山各45万円、香川44万円、新潟43万円、北海道40万円だった。この傾向はブロックごとに開かれた数多くの物産展、見本市にも見られた。

 「沖縄まで含めた全都道府県から10万点を超す特産品、民芸品、名物が出品即売された」という物産展で、香川が7位の売上を上げています。ちなみに、香川の「観光と物産を結びつけた素材」は小豆島とオリーブで、やはりここまで、栗林公園や屋島やこんぴらさんの名はあまり挙がってきていません。

高松名物「どんとんうどん」?!

 この年のうどん関連広告は、協賛広告に3社が出ていたのみ。そのうちの2社はおなじみの「日清製粉株式会社坂出工場」と「製粉・製麺/日讃製粉株式会社」ですが、もう一つに「高松名物どんとんうどん/マンソートカレー焼き/大和屋パン」という謎の広告がありました。

どんとんうどん

 「どんとんうどん」の何たるかについては、当編集部では解明できておりません(笑)。

(昭和40年に続く)

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